第九話 三年生

翌日。轟高校美術室、昼休み。
昨日、舎弟は現場検証で早退したので久美子に付き合えず、久美子も居残りをせずに帰った訳だが、
今日はその分を取り返すべく昼休みからキャンバスに向かう久美子だった。
久美子「・・・・・・・」
だがしかし、どうも筆が進んでいないようだ。
久美子「なんで逃げたりしちゃったのかな、私・・・」
久美子は昨日のアクアマリンでの出来事を引き摺っていた。
久美子「いやでもそんな事より、あの二人が楽しそうにお茶してたっていう事の方が重要よね・・・」
どうも久美子には楽しそうに見えたらしい。
久美子「でもでも!舎弟から誘ったっていうのは・・・考えにくいわよね・・・そうよね・・・」
ブツブツ言い続ける久美子。その時入り口のドアが開いたが彼女は気付かずに独り言を続ける。
舎弟「久美子ー。あ、やっぱりここだったスね。」
入って来たのは舎弟だった。
久美子「ブツブツ・・・」
舎弟「久美子?」
舎弟が声を掛けても久美子は気付かない。
久美子「ブツブツ・・・」
舎弟「もしもし?」
久美子「ブツブツ・・・」
舎弟「こりゃ・・・また入っちゃってるっスね・・・さてどうしたもんか・・・」
久美子「ブツブツ・・・」
舎弟「何言ってるのかよく解らないスけど・・・なんかいつもとはちょっと違うモードのような?」
久美子「ブツブツ・・・」
舎弟「そうだ・・・おーい久美子ー、絵、見てもいいスかー?」
久美子「駄目!・・・って・・・」
ようやく舎弟に気付く久美子。そしてしばらくフリーズ。
久美子「うわあ!しゃしゃ、舎弟?いつの間に!?いつからそこにいたのよ!?」
狼狽の見本を見せる久美子。
舎弟「ついさっきからスが・・・」
久美子「い・・・・・・・今の聞いてた?」
舎弟「いや・・・何言ってるか全然わからなかったスよ?」
久美子「そう・・・それならいいけど。」
胸を撫で下ろす久美子。
舎弟「気になるスね・・・何言ってたスか?」
久美子「何でもいいから!ただの独り言よ!・・・それより何よ?」
舎弟「そうそう、ちょっと見てもらいたい物があるっス。」
舎弟はそう言いながら内ポケットから何かを取り出し久美子に見せる。
久美子「なにそれ・・・え、ええええええええええええ?」
舎弟が久美子に見せたのは、昨夜焼いた久美子の例の写真だった。
久美子「ちょ、ちょっとこれ、な、いいい、いつの間にこんな物撮ったのよ!?」
舎弟「久美子が絵を描いてる時にスよ。全然気付かないスからね、久美子は。」
久美子「だからってまたこんな盗撮みたいな・・・」
舎弟は久美子の言葉を遮って言う。
舎弟「この写真でコンクール行こうと思ってるスが・・・いいスか?」
久美子「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
舎弟「やっぱり被写体の同意が得られないと・・・久美子?」
久美子「だ・・・・・駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目!絶対に駄目!」
それを聞いた舎弟の顔に、明らかな落胆の色が浮かぶ。
久美子(え・・・ちょっと、そんな顔しないでよ、罪悪感感じちゃうじゃない・・・)
舎弟「そうスか・・・今の自分の最高の写真だったスが・・・しょうがないスね。」
久美子「・・・・・」
舎弟「無理は言わないっス。また違う写真撮るスから。」
そう言い残して立ち去ろうとする舎弟。その舎弟を久美子は思わず引き止めた。
久美子「ちょ、ちょっと待って!」
舎弟「ん?」
久美子「それってさ・・・目にモザイクとか入れられないの?」
舎弟は物理的にコケた。
舎弟「な、何言うスか。そんな事出来るわけ無いじゃないスか・・・」
久美子「だって・・・こんな鼻の頭に絵の具付けた写真なんて恥ずかしいし・・・」
舎弟「何言ってるスか、それがこの写真の売りスよ。ほら、可愛い笑顔じゃないスか。」
久美子(え・・・)
舎弟の口から予想外の言葉を聴き、思わずドキッとする久美子。
久美子「だからって・・・やっぱり駄目。悪いけど。」
舎弟「いいスよ。じゃ、行くスね。」
久美子「うん・・・」
そして舎弟は美術室を出て行った。
久美子「舎弟に・・・可愛いなんて言われるとは思わなかった、な・・・」
舎弟の言葉を反芻する久美子の頭の中からは、昨日の出来事はすっかり飛んでいた。

同日放課後。3-D教室。舎弟は昨日のノリオの伝言を轟に伝えていた。
轟 「で?奴はいつ来るって?」
舎弟「いや、それは・・・近々としか言ってなかったスから・・・」
轟 「そうか・・・じゃあしばらくの間放課後は学校だな。」
そこへ、話を窓際で聞いていた操が割り込んで来た。
操 「そんな事考える必要は無いみたいよ。」
操の方を見る二人。操は校庭を見下ろしていた。その視線の先には、校庭を横切って来るノリオがいた。

轟 「なあ・・・まだやるのか?」
勝負を開始してから既に1時間ほど。ノリオの5戦全勝。さすがに轟といえども、連続でほとんど勝ち目の無い
試合をするのは精神的に堪える。
ノリオ「まだヒャ!奴が、奴が来るまでヒャ・・・」
操 「ほえ?」
轟 「奴?」
舎弟「例の乱入してきた女の子っスよ・・・なんかリベンジしたいらしいっスよ。」
轟 「そうか・・・よし。狂犬の!そういう事ならとことん付き合うぞ!」
轟がそう言った時だった。

キイ・・・

体育館の入り口のドアが開く音が聞こえた。全員が入り口を注視する。
しかし一同の期待を裏切り、入って来たのはサキだった。入るなり注目を浴びたサキは戸惑った。
ため息をつく一同。
サキ「な、なんだい!?」
ノリオ「まあ、そりゃそう都合よく来る訳ないヒャ。轟、試合再開ヒャ!」
轟 「よし来い!」
そして6戦目が始まった。
ノリオの考えは、ここで卓球をしていれば例の少女は釣られて現れるに違いない、というものだった。
逆に言えばそれしか接点が無いのであるが。
サキ「ちょっと、なんなんだい?」
その異様な雰囲気に卓球台の所までやって来たサキは操に訊ねた。
操 「あのね・・・」

サキ「ふーん、でもその子、一度しか来てないんだろ?今日来る保障なんかどこにも無いんじゃないのかい?」
操 「そうね。でも轟君はノリオさんが納得するまで付き合うみたいよ。」
サキ「まあ、あいつならそうするだろうね・・・」
操 「あら?本人を目の前にしてノロケ?」
操は軽くからかった。
サキ「ちょ!そんなんじゃ・・・!」
轟 「そこ!うるさいぞ!」
ラリーを続ける轟だったが思わず声を上げる。
操 「ふふっ・・・照れてる照れてる。」

キイ・・・

更に数試合をこなした時だった。再びドアが開く。先ほどと同じように一同が注視する中・・・
入って来たのは久美子だった。再びのため息。
久美子「え?なに?なに?」

久美子「舎弟が遅いから探しに来たんだけど・・・そんな事になってたのね。」
舎弟「え?遅いって・・・」
舎弟は時計を見る。
舎弟「げ、もう6時過ぎてる・・・」
言われてみれば外も暗くなり始めている。
舎弟「ノリオさん、もう今日のところは諦めた方が・・・あの子の歳考えたらもう来るような時間じゃないっス。」
ノリオ「確かに・・・そうかも知れんヒャ。それじゃ、あと1ゲーム、1ゲームだけ!」

キイ・・・

ノリオ「!」
チャッピー「ハーイ」
操 「あ、チャッピーさん!」
ノリオ「てめえ!いい加減にヒろ!」
チャッピー「ナ、ナンデオコラレルンデスカー?」
ノリオ「やかましヒ!てめえ何ヒェに来ヒャがっヒャ!」
どうもノリオは興奮すると空気の抜ける音が増えるようだ。

キイ・・・

ノリオ「いい加減にヒやがれ!同じギャグは三度までヒャ!」
入り口を見ずに叫ぶノリオ。
轟 「お・・・」
舎弟「あ・・・」
操 「ん?」
サキ「・・・」
久美子「?」
チャッピー「ナンデショー?」
そこでノリオはようやく一同の雰囲気が違う事に気付いた。
ノリオ「これでヅラが立ってました、ってオチは無しだヒェ・・・」
ゆっくり振り向くノリオ、果たして入り口には襟足を二つにまとめた髪型の、小学生くらいの少女が
もじもじしながら立ち、こちらを伺っていた。
ノリオ「ききききき、来たーーーーーーーーー!」
ピクッと反応する少女。更にもじもじしながら何か口をもごもごさせている。
サキ「あの子?」
舎弟「間違いないっス。あの子っス。」
久美子「んー、話とはイメージ違うわね・・・乱入して来るぐらいだからもっと積極的な子を想像したんだけど。」
舎弟「前に来た時もあんな感じだったスよ。」
久美子「でも可愛い子ね。」

筆者注:実機の設定とは違います。

操 「ん・・・」
少女の様子を見ていた操が彼女に歩み寄った。そして口元に耳を寄せ言葉を聞き取る。
操 「うん、うんうん。もちろんいいわよ。むしろみんなあなたを待ってたんだから!」
操の言葉を聞いた少女は一瞬不思議そうな表情を見せるが、すぐに「ぱああああっ」という表現が適切な笑顔を見せた。
操 「ノリオさん!卓球がやりたいんだって!」
ノリオ「おう!待ってたヒェ!」
轟 「よし!交代だ!」
轟が少女に声を掛ける。それを聞いた少女はととととと、と卓球台まで小走りで駆け寄った。

ノリオ(奴はシェイクハンド、あれが曲者だ・・・この非常識に重い轟流の玉をきっちり「切って」きやがるからな・・・)

「切る」とはカットボール、即ち玉の斜め下をこするように打ち、逆回転させる打ち方である。
通常の玉であればふわっと浮くような軌道になるのだが、轟流の重い玉ではそれなりにスピードが乗る。
問題は回転方向だ。どちらかと言えば玉の上っ面を叩く打ち方のペンマングリップラケットで普通にレシーブしようものなら
轟流の重い玉はほぼ真下に落ちる。返すのが非常に難しいのだ。カットにはカットで返すのが最善だ。

ノリオ(特訓の成果を見せてやるぜ・・・!)

そしてノリオはそれまで使っていたラケットを仕舞い、違うラケットに持ち替えた。シェイクハンドグリップだ。
ペンマングリップでもカットは出来ない事は無いのだが、ノリオはよりカットに特化したシェイクハンドを使う事にした。
ずっとペンマングリップを使っていたノリオには慣れないラケットだったが、前回破れて以来シェイクを特訓、
今ではかなり使いこなせるようになっていた。

ノリオ「用意はいいヒャ?よし、お前からヒャ!」
そして死闘の火蓋は切られた。

轟 「一体いつまで続くんだ・・・これ。」
舎弟「レベル高過ぎるっス・・・」
試合が始まって既に10分は経っていた。スコアは0-0。・・・つまりは試合開始から延々とラリーが続いているのである。
ノリオ「カットにはカット、」
ビシッ
ノリオ「そりゃそうなんだけどヒョ」
ビシッ
ノリオ「埒が明かねえヒャ、こりゃ・・・」
ビシッ
ノリオはそう思って少女の目を見る。少女はノリオが言いたい事が解ったのか目線を返して来た。
そして返って来た玉は回転を緩められていた。
ノリオ「そう来なくっちゃヒャ!」
バチィッ!
一転して強打戦に変わる。重い玉で強打。球速は途方も無い物になった。
少女は瞬時にバックステップして卓から距離を置き、やはり強打を返す。
舎弟「うわっ!」
サキ「ちょっとこれ・・・玉が見えないよ・・・」
チャッピー「スゴイデース。」
両者とも球速の速さに対応するため卓から1メートル以上離れている。
轟 「お前ら・・・こんな所でやる卓球じゃないぞ・・・」

しかしその均衡も破れる時がついに来た。ある所で少女がノリオの強打をスイートスポットを外して
打ってしまったのだ。僅かに歪む少女の顔。それからはあっという間だった。
そこから2度目のレシーブで、ノリオの打球は少女のラケットを弾き飛ばした。
少女「・・・・・・・!」
少女は右手首を押さえてしゃがみこむ。
想像して欲しい。轟流の卓球はゴルフボールを使って卓球するような物なのだ。
スイートスポットを外せば打球が死ぬ上に手首への負担も大きい。それが華奢な少女であれば尚更だ。
それでも少女はラケットを拾ってサーブ・・・する事が出来なかった。痛みから握力が失われ、
ラケットを落としてしまったのだ。
ノリオ「ふう・・・勝負、あっヒャようだな。」
少女「うっ・・・」
ノリオ「へ?」
少女「うっ・・・うえっ・・・」
ノリオ「ちょ、ちょっと待て!」
少女「う・・・・うええええええええええええええええ」
少女は涙をぽろぽろ流して泣き出してしまった。
一同「あーあ、泣ーかした♪泣ーかした♪」
小学生のようにはやし立てる一同。
ノリオ「ば、馬鹿ヒャお前ら!お、おい泣く事は無いだヒョ?」
ふとノリオの目が左手で押さえられた少女の右手首を捉えた。
ノリオ「ひょ、ひょっとして痛いのヒャ?・・・おい!保健室!保健室ヒャ!」

そして一同は少女を保健室に連れて行った。幸いマチコはまだ帰っていなかった。
と言うか、轟が卓球勝負をするという事を聞いていたので念のため帰らずにいたのだ。しかし、
マチコ「困ったわね・・・」
少女はマチコに手当てをされるのだが・・・泣きっ放しだった。
寄ってたかってなだめてもすかしても一向に泣き止む気配が無い。
そして手当ては終わったが少女はまだ泣いている。さすがに泣いている子供を一人で帰す訳にはいかず、
かと言っていつまでも学校にいる訳にもいかず、悩んだ挙句一同はアクアマリンに場所を移す事にした。

数十分後、アクアマリン
サキ「ほらほら、もう泣かない。ね?」
アクアマリンに着いてからは、少女のなだめ役はサキだった。
少女は、まだしゃくりあげが止まらないものの、ようやく泣き止みそうな気配を見せていた。
ノリオ「はあ、やれやれだヒェ・・・」
ノリオは泣かせた責任という事で、学校からここまで少女を背負って来ていた。
そして話が出来そうな雰囲気になってきたのを感じた久美子が声を掛ける。
久美子「ねえ、名前聞いてもいいかな?」
少女「・・・・・・」
サキ「ん?・・・そう・・・めぐみ、だってさ。」
蚊の鳴くような声で話すめぐみ。それを隣に座るサキが通訳する。
操 「そう・・いい名前ね!」
少女「・・・・・・」
サキ「え?・・・うん・・・愛って書いて?え?苗字はふ・・・」
一同「それはいいから!」
何故かその場の全員が、それは聞いてはいけない事のような気がした。
チャッピー「デハメグミチャン、イマナンネンセイデスカ?」
めぐみ「・・・・・」
サキ「・・・三年生だってさ。」
轟 「三年生か・・・三年生としては大きい方だな。」
めぐみ「・・・・・」
サキ「え、何?・・・ちがう?・・・ええええええええええ!?」
舎弟「サ、サキさん?どうしたスか?」
サキ「高校・・・・・・・三年生だって・・・」
一同「嘘おおおおおおおおおおおおおお!」

どう見ても小学生、もしくは幼い外見の中学生ぐらいにしか見えないめぐみは他校の高校生だった。
学校では卓球部に所属、これは後で判る事だが、県大会では何度も優勝しているそうだ。
彼女は轟流卓球の話を風の噂で聞き、轟高校まで何度か脚を運んでいたらしい。
そしてノリオとの対戦は彼女にとっていい練習になっていたと言うのだ。

めぐみ「・・・・・」
サキ「・・・・・うんうん、・・・皆さんどうもお騒がせしました、だってさ。」
お開きという事になり、店の前に出た一同にサキが、いやめぐみが告げた。
ノリオ「まったくだヒェ・・・」
そしてめぐみはぺこっとお辞儀をして、振り向き歩き出した。
ノリオ「おい。」
その背中にノリオが呼び掛ける。
めぐみ「?」
めぐみは半身振り返ってノリオを見る。
ノリオ「楽しかったヒェ。また・・・やろうヒェ。」
それを聞いためぐみは再びあの笑顔を見せ、こくこくと頷いた。

そして解散した後の帰り道、舎弟はいつものように久美子を送る。
久美子「まさか高校生とはねー。」
舎弟「まったくっス。どう見ても小学生スよ。」
めぐみの話題を中心に、とりとめの無い会話をしながら歩く二人。が、ある所で急に話題が尽きる。
久美子「・・・・・・あのさ。」
その沈黙を破って久美子が言葉を発した。
舎弟「ん?」
久美子「写真だけど・・・いいよ。」
舎弟「・・・・・マジスか!?」
久美子「その代わり・・・入選しなさいよ。」
舎弟「それはちょっと・・・自分でどうこう出来る問題じゃないスよ・・・」
久美子「駄〜目。入選しなきゃ許さないからね。あはは。」

じゃれあいながら歩く二人。だがその二人を見つめる視線に二人は気付かなかった。

つづく