第二話 お兄ちゃん

「やーいやーい、チービブース!」
「うえっ・・・ひぐっ・・・」
「ほら鳴いてみろよ、ブタ!ブーブーって!」
「えぐっ・・・えぐっ・・・」
「こらあ!おまえら何してんだ!」
「うわー、お兄ちゃんが来たぞー!」
「逃げろー!あはははは!」
「ひっく、ひっく。」
「・・・おい、だいじょうぶか?」
「ひくっ、(こくこく)」
「まったく・・・毎度毎度女の子一人をよってたかって・・・おまえは何もしてないのにな!」
「・・・ちがうの・・・」
「へ?」
「・・・あたしが、あいつ、ぶったの・・・」
「え?じゃ悪いのはおまえじゃんか!」
「ちがうもん!」
「何がちがうんだよ。」
「だってあいつ、お兄ちゃんの悪口、言った・・・」
「それで、か。」
「うん・・・」
「バーカ。そんなもん無視しとけ。」
「だって・・・」
「俺はそんなの気にしない。だからお前も気にするな。」
「・・・うん。・・・だけどね。」
「だけど?」
「我慢できなくてまたやっちゃうかも。」
「しょうがないな。またいじめられるぞ?」
「その時はまた助けてくれる?」
「そりゃ・・・助けてやるさ。」
「本当!?」
「本当だ。久美子は俺が守ってやる。」

舎弟「久美子ぉ?」
舎弟は間抜けな声を上げて寝床から飛び起きた。目覚ましはまだ鳴っていない。時刻は
午前6時前を示していた。
舎弟「こらまた・・・随分と懐かしい夢を見たもんスね・・・」

舎弟には小学生の頃、一人の仲のいい女の子がいた。
舎弟が遊ぶ友達の中に、いつの間にかその子がいた。そんな出会い方をした女の子が久美子だった。
彼女が舎弟達に近付いて来た理由は、クラスでのいじめだった。
不幸にもクラス内でいじめのターゲットになってしまった彼女はクラス内で孤立、
寂しさからクラス外に友達を求め、たまたま近所で楽しそうに遊んでいた舎弟達に
ついて回るようになり、いつの間にか遊び仲間になっていたのである。
舎弟達より学年が一つ下の久美子は、特に舎弟になついた。
久美子は舎弟の事をお兄ちゃんと呼んで慕い、舎弟も彼女の面倒を見るようになった。
一緒に登下校したり、いじめから守ったり。

一時はそんな関係だった二人だが、舎弟が4年になった時に舎弟家は引っ越しをし、それを境に
二人は会わなくなっていた。お互いの住所も苗字も知らないまま。
一応は同じ市内への引越しだったのだが、小学生の二人にとってそれは途方も無い距離だった。

そして時は流れ、二人は偶然にも轟高校を志望、入学。そして舎弟がダブり、二人は同じクラスになり
再会を果たすのだが、久美子は舎弟があのお兄ちゃんである事に気付かなかった。いや、気付かない
振りをしていたのかも知れないが、ともかく同じクラスになって初めての挨拶は「初めまして」だった。
一方の舎弟はひと目で久美子があの久美子である事に気付いたものの、その挨拶に少なからず
ショックを受け、名乗る事はせずに今に至っている。
ただ、いじめられていた頃のおどおどした面影を残さない元気な久美子を嬉しくは思っていた。

舎弟「あの頃は・・・可愛かったんスけどね。」
現在の、会えば言い合いになる久美子と比較して、思わず舎弟は苦笑した。
舎弟「さて、ちょっと早いスけど起きちゃった事だし、今日は早めに出るスかね。」
舎弟はそう言うと身支度を済ませ、カメラをはじめ撮影に必要な物が一通り入ったバッグを担ぎ、
外へ出た。いい天気だった。その目に朝日が刺さる。
舎弟「あいたたた・・・今日は暑くなりそうスね。」
そう言いながらスクーターに跨ると、ろくに暖気もせず発進していった。

舎弟はここ最近の撮影で行き詰っていた。テーマは朝と決めているものの、漠然としていて
自分でも何を撮るか、はっきりとしたビジョンがある訳ではなかった。
朝、そして被写体は人間という事以外何一つ決めていないのだ。撮っていくうちにビジョンも
見えてくるだろうという、割と安易な考えでの見切り発車だった。
いろいろな朝の風景を撮った。通勤途中のサラリーマン、市場で働くオヤジさん、新聞配達のお兄さん、
犬を散歩させる老婆、ジョギングで汗を流す中年、それに自転車で学校に向かう薫の姿・・・
これは後頭部が朝日でハレーションを起こし、フィルムの無駄だったと後悔したが。
とにかくこの約一ヶ月の間に何百枚と撮影したが、それでも一向に見えてこないビジョンに
彼も最近焦りを感じていた。

舎弟「ほんとに、なんかこう、ピンと来る被写体って無いもんスかね・・・」
時刻は八時過ぎ。そろそろ登校の時間帯である。勿論今の舎弟には知った事ではないのだが、
そういう時間なので登校する生徒が目につき始める。その時、舎弟の目は二人の小学生に
奪われていた。
小学校中学年ぐらいだろうか、男の子と女の子。仲良さげに談笑しながら歩く姿に今朝の夢を
思い出し、思わず昔の自分と久美子をダブらせる舎弟。
舎弟「傍から見ると、微笑ましいもんスね・・・」
舎弟はなんとなく、その二人をファインダーに収めてシャッターを切る。
そしてファインダー越しに見た映像から、出来上がった写真をイメージしてみた。
舎弟「あれ、この感じ・・・」
舎弟が何かを掴みかけたその時、何者かが背後から彼の肩を叩いた。
男 「おい、君。」
舎弟「は?誰スか?・・・って、ええーっ!?」
舎弟が振り向くと、そこには若い警官が立っていた。
警官「君はここで何をしてるんだ?」
見れば解る。写真を撮っているのだ。だが、その質問はそんな単純な話ではない。
彼はその撮影に、それ以外の目的があるのではと勘ぐっているのだろう。
舎弟は、俗に一升瓶と呼ばれるでかい望遠レンズで小学生を撮っていた。
今の世の中、大人が見ず知らずの子供の写真を撮る、というのは立派に怪しい行為
になってしまうのである。それがこんな物々しい装備なら尚更である。
舎弟「あ、あの、自分はただ写真を・・・」
警官「それは見れば分かるよ。まあ、ちょっとそこの交番で話を聞かせてくれるか?」
舎弟「え、そんな、自分は何も悪い事はしてないっスよ!」
警官「そうかも知れんがな、客観的には充分不審なんだよ・・・ま、とにかく来なさい。」
舎弟「そ、そんなー!」
そして舎弟は交番まで連れて行かれてしまった。

舎弟「自分は何もして無いっス!これからも変な事はするつもりはないっス!」
警官「まあまあ落ち着いて。私も、何も君を無闇に疑おうって訳じゃない。」
舎弟「じゃあ、どういう訳スか・・・」
警官「最近、この辺りに変質者が出没してるのは知ってるかい?」
舎弟「知らんスが・・・って、自分じゃないスよ!」
警官「ははは、だから私もそうは思ってないから。ただ、この近辺の住民はそう
   思ってくれるとは限らないんだよ。」
舎弟「・・・」
警官「事実、私が君の所に行ったのも、あの辺りの住民の通報があったからなんだ。
   カメラ持った変な男がうろついてるって。」
舎弟「変な男・・・あんまりっス。」
警官「要するにこの辺の人は結構ナーバスになってるんだよ。」
舎弟「そういう事スか・・・」
警官「私も立場上、ほっとけなかったって訳さ。そういう訳だから、この辺りではちょっと
   活動を遠慮してもらえると助かるんだが・・・」
舎弟「悪い事してる訳じゃないのに引かなきゃならないってのは納得いかないスが・・・
   不安に感じる人がいるなら仕方ないスね。説明して回る訳にもいかないし。」
警官「君が話の分かる奴で良かったよ。協力、ありがとう。」
舎弟「それじゃ、失礼していいスか?」
警官「ああ、悪かったね。」
舎弟はその言葉を聞くと一礼して交番から出た。そして警官が押して来て表に停めてある
自分のスクーターに跨り、エンジンをかけた。そこへ警官が呼びかける。
警官「ああ、君。」
舎弟「まだ何か?」
警官「ヘルメット。」
警官は反則切符をヒラヒラさせながら、困ったような笑顔でそう言った。

午前10時ごろ。河川敷土手をスクーターで走る舎弟。
舎弟「あー!迂闊だったっス!開放された事で気が緩んだっス!」
舎弟は切符を切られた後、しばらくスクーターを押して歩き、充分距離をとった所から乗って来ていた。
罪の意識が無い交通違反者などこんな物である。
舎弟「でもイメージは掴めた様な気がするっス!被写体は学校にありっス!背伸びは止めるっス!」
土手の砂利道を、砂煙を上げて走る舎弟。撮影による遅刻はこの日が最後になった。

つづく