押忍!番長 if サキと轟

第一章 学帽とはねっ返り

初冬のある日。11月某日。
住宅街を歩く二人の学生の姿があった。一方は体格がよく、長ランに学帽、ボンタンに下駄履きという、
今となっては懐かしい出で立ちをしている。
この学生の名は轟金剛。父親が校長を努める轟高等学校に通い、番を張っている。
だが、この男のポリシーは喧嘩嫌い。喧嘩をしない番長として、校内ではちょっとした有名人だった。
隣を歩く、剃りが入ったボウズ刈りの学生は轟の舎弟である。本名は設定されていない可哀想な男である。
二人は話しながら歩いていたが、それはどうも昨夜の格闘技の番組の話のようだ。

轟 「フィニッシュが凄かったよなー。」
舎弟「そうそう、左左と来て、フックをフェイクにカウンター誘って、右ストレート叩き込んだんっスよね。」
轟 「えーと、確かこうやってこうやって・・・あれ?難しいな。」
舎弟「同じ腕で違う軌道のパンチを続けざまってのは素人には・・・」
轟 「そらそうだけどよ、えーとジャブジャブフック・・・」
舎弟「ジャブ・ショートフック・フックになってるっスね。むしろその方が難しそうな・・・」
轟 「こうか!ジャブジャブフック、右ストレート!」
舎弟「あ、あぶな・・・」
右ストレートまで成功した場所がまずかった。轟達からみて右が死角になる曲がり角。
その曲がり角から現れた人影にあろうことか右拳が直撃してしまったのだ。
女 「〜〜〜〜〜っ!」
轟 「ああああああ〜っ!済まん!大丈夫か!」
人影はセーラー服を着た女子高生。金髪のロング、へそ出しに足元まである長いスカート。
お世辞にもガラがいいとは言えない容貌だった。むしろ絵に描いたようなスケバンである。
この女子高生の名前はサキ。通り名を疾風のサキという。この物語の主人公である。
サキ「てめえ!何しやがる!このアタイを疾風のサキと知ってか!」
轟 「本当に悪かった!不幸な事故だ!・・・えっと・・・湿布の?」
サキ「し・っ・ぷ・う・の!ふざけた野郎だ、顔貸しな!」
轟 「・・・うーん、どっちかと言うと、顔貸すのはお前の方だな。」
サキ「あんだと・・・あ、おいふざけんな!何しやがる!」
轟はサキが抵抗するのもお構い無しに担ぎ上げた。
轟 「こっからなら俺らの学校は目と鼻の先だ。保健室にいい先生がいる。その顔、手当てしてもらえ。
   舎弟、お前は俺のカバン家まで頼む。」
舎弟「了解っス。」
サキ「そ、そんな事はどうでもいいよ!降ろせ、降ろせバカ!」
轟はそんなサキの悪態を無視して歩き始めた。

そしてサキに背中を叩かれながら、確かにほんの数分で轟高等学校に着いた。
轟 「さ、着いたぞ。それと、叩くのはいいが、肘は勘弁してくれるか?結構痛い。」
サキ「うるさい!とっとと降ろしやがれ!」
罵るサキ。それでも轟は彼女を担いだまま校舎内に入っていった。
轟 「ここだ。」
そして保健室前で立ち止まる。そのドアには”在室中 桜井”と書かれた札が下がっている。
それを確認した轟は引き違いのドアを開け、サキが鴨居に頭をぶつけないように姿勢を下げつつ中に入った。
轟 「せんせーい、怪我人でーす。」
轟はそう言うと前屈みになってサキを床に降ろした。
保健室の机には、ショートボブの20代半ばだろうか、美しい女性が椅子に座っている。女性の名は桜井マチコ。この学校の校医だ。
マチコ「あら、轟君。今日はドッジボール?それともあっちむいてほい?」
サキ(ふん、こいつトドロキってんだ。でも何言ってんだこの女・・・?ドッジボールならまだしもあっちむいてほいで怪我?)
轟 「いや、俺がこいつを殴っちまって・・・」
マチコ「え?轟君が喧嘩?喧嘩はしない主義じゃなかったの?」
轟 「いや、事故です。事故。説明するとめんどくさいんで後。今はこいつ手当てしてやって。」
マチコ「そうね。そうしましょう。あら・・・綺麗な顔が台無しじゃない。」
サキ「うるせえな!構うんじゃないよ!」
マチコ「お譲ちゃん・・・大人の言う事は聞くものよ。」
一瞬、マチコの眼光がサキを捉え、その刹那サキはこれまでに感じた事の無い戦慄を覚えた。
サキ「(・・・こ、この人には逆らわない方がよさそうだ。)・・・わかったよ。」
轟 「じゃ、俺はこれで・・・」
サキ「待ちな!逃げるんじゃないよ!オマエとはまだ話ついちゃいないんだ!」
轟 「判ってる。廊下で待ってるだけだ。」
轟はそう言い残し保健室を後にした。
マチコ「あなた、お名前は?よかったら教えてくれないかしら?」
サキ「・・・サキ・・・です。」
マチコ「そう、いい名前ね。で、サキちゃん、ひょっとして轟君と喧嘩しようとしてない?だったら無駄よ。彼、絶対に買わないから。」
手当てをしながらマチコが言う。
サキ「余計なお世話!・・・です。買わないったって、殴りかかれば買わない訳にはいかないだろ・・・
   じゃないんですか?」
マチコ「ふふふ、そうね、まあやってみなさいな。そうしたら解るから。彼、いわゆる番長なんだけど、この学校の校風はね、
    暴力絶対禁止。それでも番を張れるっていう事がどういう事か、がね。」
サキ「・・・・」

やがて手当ても済み、ほっぺたに大きなガーゼを貼られたサキが保健室から出て来た。

轟 「おう、終わったか・・・」
サキ「はっ!」
サキは轟の言葉を待たず、剃刀を挟んだ指で切り付ける。が、轟は一歩も動かず寸前の所でその右手首を左手で掴む。
サキ「なっ!?離しやがれ!」
しかし、まるでコンクリートで固められたように掴まれた右腕は動かない。
サキ「このっ!この!」
残った左腕や足で殴ったり蹴ったりするが、右腕が固定されている状態なので手打ちになってしまい、全く利く気配が無い。
ぽこぽこと殴られながら、轟は握った左手に少し力を加える。
サキ「ああっ!」
まるで万力で締め付けられたような錯覚を覚えたサキは、その右手から剃刀を落とした。それを見た轟は左手を離し拾い上げる。
轟 「喧嘩はいかん、喧嘩は・・・しかもこんな物まで使ったら洒落にならん。」
轟はそう言いながら、剃刀をぱきん、と人差し指と親指で割った。
サキ「ちきしょう・・・オマエ、ここで番張ってるらしいじゃないか!それで喧嘩しない主義なんて笑わせるよ!
   そんな腰抜けに番が務まるのかよ!」
サキは右手首を押さえながら叫んだ。
轟 「俺は絶対に手を出さない。だが襲ってきた相手にも手を出させない・・・さっきみたいにな。」
サキ「そんなの、おまえほどの力があれば、ぶちのめせば済む話じゃないか!」
轟 「暴力は何も生まん・・・憎しみ以外はな。暴力に暴力で応えたらいかんのだ。」
サキ「ふざけんな!喧嘩売る側にゃ、通用しないよ!」
轟 「だからそういう奴には俺流の勝負方法で白黒つけてもらう事にしている。」
サキ「・・・俺流?」
轟 「まあ、付いてこいや。」

轟が向かった先は体育館だった。
轟 「・・・その服じゃ都合が悪いな。これを貸してやる。そこに更衣室がある。着替えて来い。」
サキは言われるままに更衣室に入り、渡された着替えを見る。
サキ「って、なんだよ、これ・・・」
それは、半袖シャツにブルマ。いわゆる体操着だった。
サキ「おい!なんだよこのカッコは・・・!」
サキは叫びながら更衣室を出た。律儀にもちゃんと着替えを済ませて。その声に振り向く轟。その手には直径30cmほどのボールがあった。
轟 「やった事あるだろ?ドッジボールだ。ただし轟流。相手にぶつけてKOして勝利になる。これが俺流の勝負方法だ。」
サキ「な、なんだそりゃ・・・そ、それになんだい・・・その娘は?」
轟の傍らにはいつやって来たのかこの学校の女生徒であろう、髪の毛をアップにした少女が立っていた。
少女の名は青山操。轟の幼馴染でありクラスメートである。
轟 「立会人をやってもらう。名前は操という。」
操 「青山操です。よろしくね☆」
サキ「・・・フン。」
操 「あらま。」
そして二人は操を挟んで対峙する。
轟 「準備はいいな?それじゃ取り敢えずお試しって事で、軽く行くぞ。オラァ!」
サキ「軽くっておい・・・わあああ!」
直撃。サキは2・3メートルほど弾き飛ばされた。
轟 「うむ、この種目は駄目そうだな。じゃ次は・・・椅子取り・・・は駄目だ。女相手じゃこっちが恥ずかしい。
   あっちむいてほいは・・・結果的に顔殴る事になるからこれも駄目。よし、次は卓球だ!」
サキ「なんなのよ〜」

サキ「ちょっと卓球って、見た目は卓球だけど、何、この異常に重い玉は!」
轟 「それも轟流だ。当たり所が悪ければKO必至。」
サキ「おい待て・・・暴力よりタチ悪いんじゃないのか?それ!?」
轟 「行くぞ!オラァ!」
サキ「うわわわ、来た!」
直撃。鳩尾を押さえて苦悶するサキ。
操 「う、わー・・・どうも運動系はだめみたいよ。轟君。」
轟 「うーん、どうもそうみたいだな・・・じゃあ紙相撲で行くか!」

サキ「紙相撲・・・ってなんだ?」
轟 「最近の子供はもうこんな遊び知らないだろうけどな。俺も親父に教わった。こうやって紙の力士を作って、
   軽く揺れるように作ってある土俵に乗せて、土俵を揺らしてやると・・・・」
サキ「あ、動いてる。」
轟 「な?面白いだろ。お前も力士作ってみろよ。」
サキ「あ、ああ・・・」

でっきるっかな でっきるかな さてさてふふーん

サキ「で、出来たぞ・・・」
轟 「おう、いい出来じゃないか。じゃあそこに置いて・・・八卦よい!」
トントントントントントン・・・・・・パタ。倒れたのは轟の紙力士だった。
サキ「あ、これ得意かも・・・」
轟 「そうか!よし、じゃあこれで勝負だ!」

サキ「勝ったーーーーー!」
サキ「また勝ったーーーーーー!」
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
リザルト サキの興が乗り50戦、サキの49勝1敗。

サキ「あはは、なんだいだらしないねえ。まあ、今日の所はこんぐらいで許してやるよ!」
轟 「そ、そうか・・・済まないな。」
サキ「じゃあ今日は帰るから、今度会うまでに腕磨いときな!」
轟 「おう、気を付けて帰れよ!」
サキの背中を見送りながら操が言う。
操 「今度会うまで、って、また来るつもりよ。どうやら気に入られたみたいね。轟君。」
轟 「よせやい。」
そう言いながら轟も、何故か彼女の事が気になっていた。

その日の夜、サキの部屋。

サキ(なーんか、うまく乗せられちゃったな・・・でも面白い奴だったな・・・今度・・・また会いに行ってみようかな・・・)

それから数週間後。サキの女子高。終業を告げるベルが鳴る。

サキ「ふー、終わったー。さて、今日はあいつどっちにいるかな。河川敷かな、湖かな。」

いつの間にか轟を探す事が日課になっているサキだった。



第二章 焼酎と指鉄砲

12月某日。放課後、仕事を終えたマチコはどこかで一杯やって帰ろうと考えていた。
マチコ「どこで飲んで行こうかしらね・・・一人だし、ここはスナックかな。そうね、久し振りにあの店行ってみよう。」
その店は以前何度か訪れた事のある、ちょっと雰囲気のいい店だった。
カラン・・・ドアベルを鳴らしながら店内に入ると、どうも以前とは雰囲気が違っているのをマチコは感じた。
ママ「いらっしゃい・・・あら、お久し振りね。でも来てくれたのに悪いんだけど、今日はちょっと・・・」
店内を一瞥すると、ママの歯切れの悪い態度の理由がすぐに理解できた。
さほど広くはない店内の、おおよそ半分ほど客が入っているのだが、その客が問題だった。
全員が同じ服、それもセーラー服である。どうもスケバングループのようだ。
マチコ「あらあら、いつからこの店は子供の溜まり場になっちゃったのかしらね?」
よく通る声でマチコがそう言うと、店内の空気が変わった。全員がマチコに注目する。
と思う間も無くスケバングループの一人が立ち上がり、マチコに歩み寄って来た。
女生徒A「なんか言ったか?ああ?痛い目見ないうちに帰えんな!」
女生徒はそう言いながらナイフをちらつかせる。
マチコ「まあ、随分簡単に抜いちゃったのね。困った事。」
マチコは優しく微笑みながら
マチコ「いい事を教えてあげるわ。柄物を出すって事はね、」
言うが早いか、女生徒のナイフを持った右手首を掴み、そのまま合気道のように女生徒を一回転させて床に叩き付ける。
マチコ「相手に最大限の攻撃を許すって事になるのよ。覚えときなさい。」
女生徒達「てめえ!」
全員が叫びながらマチコの方へ向かおうとする。
女生徒「待ちな!」
一名を除いて。その張りのある声の主は、奥にいたどうやらボス格らしい女生徒だった。
女生徒「その人にはお前らが束になって掛かったって敵いやしないよ・・・多分な。」
押し黙る女生徒達。
マチコが声の方を見ると、見覚えのある顔がそこにあった。以前、轟が保健室まで連れて来た少女、サキだった。
サキ「悪いね、先生。血の気の多い連中で。お前ら!帰るよ!」
女生徒B「え、でも・・・」
サキ「いいから帰るんだよ!ほら早く出な!」
サキは女生徒達を全員店から押し出すと会計を済まし、既にカウンター席に座っているマチコに、
サキ「この前はお世話になりました。それじゃ、失礼します。」
そう告げて出て行こうとするが、
マチコ「あ、ちょっと待って。」
マチコが呼び止める。
サキ「え?」
マチコ「あなたと、ちょっとお話したいな。時間よかったらどうかしら?」
サキも、正直この女性には興味があった。
サキ「・・・いいですよ。」
サキは携帯を出し、外の連中に帰るように言うと、そのままマチコの隣に腰を下ろした。

マチコは焼酎のお湯割りに豚キムチ。意外とオヤジ臭い注文である。サキにはノンアルコールドリンク。
マチコ「はい、まずは乾杯。」
チン、とグラスを合わせる。
マチコ「ほっぺたはもう大丈夫みたいね。で、どうだったのかしら?」
サキ「どうって・・・」
マチコ「轟君に喧嘩しかけてみてどうだったか、って事よ。」
サキ「ああ・・・先生の言う通りでした。結局あいつのペースに巻き込まれて・・・ふふっ。」
笑顔を浮かべつつ言うサキ。その表情を見たマチコにはひとつピンと来るものがあった。
マチコ「あら?」
サキ「なんですか?」
マチコ「ごめんなさい。随分楽しそうに話すから、ちょっと意外だった・・・かな?」
サキ「そんな事はな・・・止めた。先生の前で強がったってしょうがないや。」
なにか、この女性には全てを見透かされそうだ。サキはそんな気がして虚勢を張るのは止めた。
マチコ「そう・・・で、いい男でしょ?轟君。」
サキ「いい男って・・・まあ、面白い男ですよね。喧嘩が強い癖に喧嘩が嫌いって、アタイらみたいなのにはいまいち
   理解できないですけど。」
マチコ「強さを持っているからこそ優しくなれるのよ。自分が力を振るえばどうなるか解ってるから。」
サキ「どっちにしろ、あいつと喧嘩しようとした奴は、もう2度と喧嘩売ろうとしないでしょうね。絶対に敵う相手じゃないって
   思い知りますから。」
マチコ「そう、それが優しい強さ、って事なのよね。」
サキ「優しい強さ、か・・・で、あいつ流の勝負方法で決着付けようって時も、結局アタイの得意分野で勝負しようって事になったし・・・」

その後もサキは、轟について楽しそうに語る。話を聞いていたマチコはちょっとからかってみたくなった。

マチコ「・・・さては惚れちゃった?サキちゃん?」
サキ「惚れたとかそんなの・・・分からないです。気に入ったのは確かですけど。」
マチコ「うふーん、まだ素直になり切ってないな?ほらほら、飲んだ飲んだ。」
サキ「ちょ・ちょっと先生?こっちはアルコールじゃないんだけど・・・」
ふと見ると、マチコは既に5杯目の焼酎に手を付けている。
サキ「先生、流石にペース早いんじゃ・・・」
マチコ「うーん、サキちゃんのお陰かな?お酒がおいしー!アハハハ!」
サキ「こりゃ、おいとましたほうがよさそうかな・・・?」
サキはそう言いながら席を立った。
マチコ「あらーん、もう行っちゃうのー。じゃあひとつだけアドバイス。」
マチコはそう言いながら真顔に戻り、告げる。
マチコ「轟君に対して思う所があるなら素直になりなさい。そうすれば必ず応えてくれるから。」
サキ「・・・・・・努力します。それじゃ、ご馳走様でした。」
マチコ「まったねー☆」
カラン・・・ドアベルを鳴らして出て行くサキ。
マチコ「ふふーん、あれはまだまだ一筋縄じゃ行きそうに無いわね・・・
   もうひと波乱なんか無いと発展はないかな?」
実は、ただ単に他人の色恋沙汰を面白がっているだけのマチコだった。

翌日、保健室。

轟「せんせーい、怪我人でーす。」
そう言いながら他校の生徒を脇に抱えた轟が入ってきた。紫の短ランに赤茶に染めたリーゼントの、その生徒の名はノリオという。
通り名は狂犬のノリオ。やはり他校で番を張っている。
マチコ「あら轟君。」
轟「あっち向いてほいで思わず蹴り出しちまって・・・手当てお願いします。」
ノリオ「アヒャ・・・」
マチコ「あらあら、白目剥いてるじゃない。っていつもの事だっけ。」
 ・
 ・
 ・
マチコ「はいこれでよし!お大事にね。」
ノリオ「アヒャヒャヒョウヒョヒャヒヒャヒヒャ」
マチコ「?はいはい。(多分礼の言葉よね。頭下げてるし。)」
轟「それじゃ俺もこれで・・・」
マチコ「あ、待って轟君。」
轟「はい?」
マチコ「喧嘩しないのはいいけど、結局怪我人が出るのは辛いわよね?」
轟「そうっすね・・・ルールがあっての怪我だから、納得できない事は無いですけど、やっぱり怪我人は出ない方が・・・」
マチコ「そうでしょ?だからこんなのはどう?」

轟「近隣番長親睦会?で、温泉旅行?」
マチコ「そう。で、その結果仲良くなっちゃえば余計な勝負も怪我も無くなる、っていうのはどうかしら?」
轟「そ、それいい!早速企画立てます!ありがとうございました!」
保健室を出て行く轟。それと前後して、轟を呼ぶ声が校庭の方から聞こえて来た。
サキ「轟ー!いるんだろ!顔面パンチの事、まだ許しちゃいないからね!勝負しな!」
マチコは窓際まで行き、サキの姿を確認すると、
マチコ「まったく素直じゃないわね、ふふふ。サキちゃんの為に入れ知恵したんだからね。感謝しなさい。」
そう言いながら指鉄砲でサキを撃った。

マチコ「ばん☆」



第三章 晴れ着とりんご飴

1月1日元旦。某神社。
金髪に染めた髪を日本髪結いにし、晴れ着姿という違和感はあるが非常に目立つ女性が初詣に来ていた。
正月ぐらいは、と朝から母親に着付けされ、神社に送り出されたサキである。
サキ「たく、初詣や晴れ着なんかガラじゃないのに・・・お参り済ませて、おみくじ引いたら
   とっとと帰ろう・・・とにかく窮屈だわ・・・」
境内はたくさんの露店、人で溢れていた。ふと、ある露店がサキの目に入る。りんご飴の露店だ。
サキ「あ・・・りんご飴。買って帰ろうかな。でもりんご飴って不思議よね。りんごと飴ってだけで、別にとりたてて
   美味しい物でもないのに、こういう所で売ってるのは何故か美味しく感じちゃうのよね。」
などと言いながらサキはりんご飴と書かれた暖簾をくぐる。
サキ「りんご飴、ひとつ下さいな・・・あーーーーーー!」
サキが大声を出した理由は、テキヤの兄ちゃんに見覚えがあったからだ。
轟 「へいらっしゃい!・・・どうしました?お客さん。」
轟だった。隣には舎弟もいる。
サキ(へ・・・?気付いてない?)
それもそのはず。今日のサキは晴れ着に日本髪、更にはいつもの赤いシャドウは無し、ルージュもナチュラルな色の物で、
いつもとは別人と言ってもいいくらいの状態だったのだ。
サキ「い、いいえなんでも・・・(やっぱりアルバイトかな?)」
轟 「?そうですか?あ、りんご飴一つでしたね。500円になります・・・はいどうぞ。」
サキ「は、はい・・・」
りんご飴を受け取ったサキはその場を後にした。それを見送り舎弟が呟く。
舎弟「はぁ・・・綺麗な人だったっスね。」
轟 「ん?そうだったか?俺よく見てなかった。」
舎弟「駄目っスよそんなんじゃ!接客の基本はお客様の目を見てにこやかな笑顔!はい!」
轟 「こ・・・こうか?」
舎弟「凄んでどうするスか!もういいです。ここは自分がやってますからその辺でスマイルの練習してきて下さい!」
轟 「お、おう。悪いな。」
何か釈然としないものを感じながら、轟はなんとなく社の方へ向かって歩き出した。

サキ「あーびっくりした。なんであいつがテキヤやってるのよ・・・もうちょっと高校生らしいアルバイトなんかいくらでも・・・
   っていうか、容姿が高校生離れしてるからむしろテキヤがあってるかも・・・プッ」
サキは自分で言っておかしくなり、思わず吹き出した。
轟 「あ、さっきのお客さん。」
そこへいきなり後ろから轟の声が聞こえ、サキは飛び上がった。
サキ「うわっ!・・・ってなんであんた・・・」
轟 「あ、おどかしちゃいましたか、すみません。」
サキ(これは・・・本気で気付かないみたいね・・・)
サキの心の中で、悪戯心がむくむくと頭をもたげて来た。
サキ(ここは別人になりきってからかってやろうかな・・・ふふっ。)
サキ「お兄さん、お店は?ひょっとしてさぼりかな?」
轟 「いや、さっきしゃて・・・いや相棒に接客がなってない、笑顔の練習して来いって言われて。」
サキ「(確かにこいつの営業スマイルなんか想像できないけど・・・)ふーん、どれ、ちょっと笑って見せて。」
轟 「え、ここでですか?・・・こんなもんで。」
サキ「それは・・・確かに駄目出しも貰うわね・・・いいわ、ちょっと付き合いなさい。」
轟 「え?」
サキ「自然な営業スマイル、出来るようにする練習よ。」

練習とは言うものの、それはどうみても普通に初詣しているだけだった。参拝をし、破魔矢を買い・・・
当のサキは轟に対して姉御言葉を使わずに話す事の新鮮さを楽しんでいた。

轟 「すまんが、これで練習になってるとはどうも・・・」
サキ「いいから。考えないで一緒に行動してて。さ、おみくじ引きましょう。」
轟 「ああ。」
サキ「ほら、あれが営業スマイルの見本よ・・・げっ!」
巫女「どうぞ。お一人100円で・・・・あ、轟君。」
巫女をやっているのは操だった。
轟 「おう、おめでとう。お前もバイトか?」
操 「おめでとう、轟君。そうよ〜。可愛いでしょ巫女さん。そういう轟君はデート?隅に置けない・・・」
操はそう言いかけて顔を背けているサキに目をやる。
操 「あーーーーむぐっ」
叫びかけた所で、瞬間移動とも錯覚するスピードで接近したサキに口を塞がれた。
サキ(しっ、轟は気付いてないんだから、台無しにするんじゃないよ!)
コクコクと頷く操。手を放すサキ。
操 「ぷは。あははは・・・それではくじをどうぞ。・・・えーとイの十番とホの三番ですね。お待ち下さい。」
轟 「さっきのなんだったんだ?巫女さんと。」
サキ「なんでもない。なんでもないから気にしないで。」
轟 「そうか。まあいいが。」
操 「お待たせしましたー。こちらが轟君。こちらがサ・・・そちらのお姉さんですね。」
サキ「どうも。じゃ行きましょ。」
轟 「お、おう。じゃ、操。バイトがんばれよ。」
操 「まかせといて!」
操はそう言って両拳を握るポーズを見せる。そして二人がある程度遠ざかったところで呟いた。
操 「はあ、びっくりした。サキさん凄く綺麗・・・」

そしておみくじ売り場のすぐ近くの木――おみくじがたくさん結び付けてある――の下へやって来た二人はおみくじを開けてみた。
サキ「中吉・・・普通で面白くないな。あなたは?」
轟 「・・・・・・・・」
轟はじっとおみくじを見ている。
サキ「どうしたのよ?」
サキは後ろに回りこみ、背伸びして覗き込む。

   大 凶

サキ「・・・・・・・・・プッ。うふふ。あはは。」
轟 「笑うなよ・・・」
サキ「ごめんなさい。でもいまどき大凶まで用意してる神社って・・・あはは。」
コロコロと笑うサキ。だがその様子を見て、轟の心は和んでいた。
轟 「確かに舎弟の言った通りだ。」
サキ「え?何?」
笑い過ぎて滲んだ涙を拭いながらサキが聞く。
轟 「綺麗だな、って。」
サキ「ばっ・・・何言ってるのよ・・・」
顔を赤くしながらうつむくサキ。だがふと気付く。轟の笑顔に。
サキ「それよ。その顔よ。」
顔を上げて轟の顔を直視する。優しい笑顔だった。その途端サキの心臓はドクン、と音を立てた。
サキ(え・・・何これ・・・)
轟 「この顔・・・ったって、自分じゃ見れないからなあ。」
サキはそれ以上轟の顔を直視できず、横を向いたまま言う。
サキ「今の気持ちを思い出せば自然とその顔になるわよ。大丈夫。」
轟 「そうか・・・ありがとう。」
サキ「さ、おみくじ結んじゃいましょ。」
二人で木のなるべく高い所におみくじを結ぶと、
サキ「おにいさん、ちょっと楽しかったわよ。それじゃアタ・・・私この後用があるから。じゃあね。」
サキはそう言うと、木の枝をくぐり人ごみの方へ向かおうとする。と、頭のかんざしが枝に引っ掛かり、何の抵抗も無くするりと抜けて
そのまま枝にぶら下がった。
轟 「お、おい、あんたこれ。」
轟はかんざしを取り、サキに呼びかけるが、サキはそのまま小走りで人ごみの中へ消えてしまった。
轟 「参ったな・・・どうするよこれ。あ・・・そう言えば、まだ名前も聞いてなかったな。」
結局最後まで気付かない轟だった。
轟 「さて、露店に帰るか・・・うおっ!」
轟は何故か胸を押さえてうずくまった。
轟 「な、なんじゃこりゃあ!?」
彼は先ほどのサキと同じ現象に襲われていたのだった。

場面は変わり、人ごみの中を早足で歩くサキ。
サキ「な、なによこのドキドキは。アタイどうしちゃったのよ。」
さっきの轟の笑顔を思い出すたびに鼓動が早くなるのが分かる。

(・・・さては惚れちゃった?サキちゃん?)

サキは足を止め、右手に持ったりんご飴に目を落とし、そして顔を上げる。
サキ(そうだね。せめて自分には素直になろう・・・アタイはあいつが好き!)

それがサキの初恋と言ってもいい、初めて芽生えた感情だった。

その晩、人もまばらになった境内に、晴れ着から着替えた普段着のサキが再び来ていた。
ちゃりーん、からんからん。賽銭を投げ込み鈴を鳴らす。
サキ(神様、昼のお願いは取り消します。今年はあいつ・・・轟金剛と・・・なんていうんだろ、
   結ばれる?いや、それはちょっと露骨だしえーと、そう!両想いになれますように!)

一人初詣のやり直しをするサキだった。

冬休み明け某日。湖畔ボート乗り場。

サキは休みが明けてから初めて轟を探しに来た。轟の事が好きだと自覚してからは中々足が向かなかったサキだが、
それでもなんとか勇気を出して湖畔までやって来た。
サキ「今日はいるかな・・・いなけりゃいないでいいけど、いや、でもやっぱり会いたいし・・・」
恋する乙女の微妙な心情であろうか。そしてボート乗り場が視界に入る。
サキ「あ、いた・・・」
あっさりと轟を見付ける。轟はいつものようにボートで昼寝、そして乗り場には舎弟がいる。
だが何か様子がおかしい事をサキは感じた。が、違和感を感じつつもいつものように呼びかける。
サキ「おい!轟!今年初めての勝負受けてもらうよ!」
轟 「ん・・・ああ、疾風の・・・あけましておめでとう。」
軽くコケるサキ。思わずひそひそ声で側にいる舎弟に訊ねる。
サキ(お、おい、どうしちまったんだ?いつもの覇気が全然無いぞ?)
舎弟(・・・恋煩いだそうっス。)
舎弟も小声で答える。
サキ(こ、恋煩いいいいいいいい!?)
舎弟(はいっス。自分ら正月に神社で露店のバイトしたんスけど、その時に来たお客さんに一目惚れ、みたいな事になってるらしいっス。)
サキ(その、その客って・・・)
舎弟(自分も見たんスけど、金髪の日本髪で晴れ着着た、綺麗な人だったっスよ。)
サキ「なにいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
舎弟「うわあっ!どうしましたスか?サキさん?」
サキ「い、いや・・・なんでもない・・・」
轟 「よし!」
轟がいきなり声を出す。
サキ「?」
轟 「ひとまず会えない人の事は忘れる!グダグダしててもしょうがないからな!疾風の!今行くぞ!」
と言いながらボートの上に立ち上がる轟。が、
轟 「あ、あ、あああああ」
バランスを崩し、派手な水しぶきを上げてボートから落ちてしまった。
舎弟「・・・どうやら強がりっスね。あれ?サキさん?」
サキ「・・・今日はもういい・・・」
サキはのろのろとその場から歩いて行った。

その夜。サキの部屋。

サキ「そんなぁ、そんなぁ・・・・そんなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
近所に聞こえそうな大声で狼狽するサキ。
母親「サキ!近所迷惑でしょ!静かにしなさい!」
階下から母親が怒鳴る。しかしサキの耳には入らない。
サキ「ちょっと神様!意地悪な願いの叶え方しないでよ!確かに両想いだけど、あいつが一目惚れしたのはアタイだけどアタイじゃなくて・・・
   そんなの残酷じゃないのよお〜〜〜!もう、こんな事なら変な事考えるんじゃなかった〜!」

その晩、夜半までサキの狼狽は続いた・・・

サキ「そんなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」




第四章 鉤裂きと失恋

1月某日。河川敷。

小春日和のうららかな放課後、サキは今日も何の気なしに、轟を探しに河川敷まで足を伸ばしていた。
轟とは、お互いに片思いしているという妙な関係になっていたが、サキはひとまずその事は考えない事にしていた。
サキ「ん・・・今日はこっちじゃないのかな・・・湖か・・・それとも学校?」
などと独り言を言っていると、見知った顔が歩いて来るのを見つけた。轟の舎弟である。
舎弟の方もサキに気が付き、小走りで近付いて来た。
舎弟「ちわっスサキさん。あの、番長見ませんでした?」
サキ「お前・・・仮にも敵対校の番に、随分と気軽に話しかけるね。」
舎弟「敵っスか?自分はサキさんは敵だなんて思ってないっスよ。もちろん番長もスね。」
サキはちょっと安堵しながらも対面を繕う。
サキ「冗談を言うな・・・敵は敵だろう。」
舎弟「うーん、そうスね、番長が言うには例の番長勝負、あれに付き合ってる時点でもう話し合いの通じる相手、なんだそうっスよ。」
サキ「・・・話し合った覚えはないよ。」
舎弟「いやいやだから、話の通じない相手の場合は喧嘩を売って来て、番長に敵わないと思えばそのまま二度と現れなくなるんスよ。」
サキ「・・・・・」
舎弟「だからサキさんは話が通じる相手、敵じゃない・・・あ、敵じゃないって言うのは相手にならないって意味じゃないっスからね。」
サキ「ふん、そんな事はどうでもいいよ・・・お前も轟を探してるのか?」
舎弟「も・・・って事はサキさんもスか。」
サキ「ああ・・・ここにいないって事は湖かい?」
舎弟「いや、今見て来た所なんスけどいなかったっスね。学校にもいないス。」
サキ「そうかい・・・お前、ここに来ると思うかい?」
舎弟「五分五分っスね。すれ違ったかも知れないス。」
サキ「・・・じゃあ、ここで待ってみるか。」
舎弟「今日も勝負スか?」
サキ「当たり前だろ。他に何の用があるんだよ。」
舎弟「いえ別に・・・じゃあ自分もつきあうっス。」
サキ「勝手にしな。」
そして二人は浅めの草むらに座り込んだ。

数十分後
舎弟「・・・で、そしたら番長がですね。」
サキ「ふんふん。」
サキは舎弟による轟情報のリークにすっかりペースを握られていた。
サキ「えーーーーーー、そんな事するのかい?あいつが?」
舎弟「意外にも。」
サキ「これはちょっと面白い事を聞いたかな。ははっ。」
舎弟「お耳汚し失礼したっス。」
サキ「・・・でもお前って、なんかこう、あいつ・・・轟に負けないぐらい不思議な奴だねえ・・・」
舎弟「は?」
サキ「話に引き込むのが上手いって言うか、そうじゃないね。相手に会話する気にさせる才能に長けてるとでも言うのかな・・・」
舎弟「はあ。」
サキ「それそれ。そのいい意味で緊張感が無い所が相手の警戒心を緩めるんだよ。」
舎弟「褒められてるのか貶されてるのか判らないっス。」
サキ「あはは。もちろん褒めてるんだよ。それって強力な武器だよ。上手く使いな。」
舎弟「今ひとつピンと来ないスが・・・」
その時、ふと表情の柔らかくなったサキを見た舎弟、
舎弟(やっぱり綺麗な人っスよね・・・あれ?)
何かが引っ掛かる。少し記憶を辿ると、頭の中で過去の映像と今見ているサキの顔が音を立てて合致した。
舎弟「あーーーーーーーーー!」
サキ「な、なんだい?」
舎弟「は、初詣、りんご飴!」
サキ「げ」
舎弟「そうだったんスね。あの綺麗なおねーさんはサキさんだったスね・・・え?」
サキがゆらり、と立ち上がる。そのまま巨大化し、道場の仁王像のように目が赤く輝いた・・・ように舎弟には見えた。
サキ「ばーれーたーかー。」
舎弟「うわわ!」
身の危険を感じた舎弟は思わず逃げ出そうとする。しかしサキはズボンのベルトをがっちりと掴んだ。
サキ「ほらほら、脱げよ!」
舎弟「あわわわ!ボンタン狩りっスか!そんな、女性にボンタン狩りされるなんて困るっス!」
サキ「そーれ!」
すぽん。脱がされてしまった。ちなみにパンツは青かった。
サキ「あははは!うっそーーーーーーーーーーー!」
サキは笑いながらズボンをパタパタ煽り、再びその場に座る。
舎弟「しくしく・・・お婿に行けないっス。」
サキ「バカ言ってんじゃないよ。ほら、ここはほつれてるし、ここは小さい鉤裂きが出来てるじゃないか。
   特に鉤裂きはほっといたらでかくなるだろ。」
舎弟に見せながらそう言うと、ポケットから携帯用裁縫セットを取り出すサキ。
舎弟「え・・・縫ってくれるっスか?」
正座して覗き込む舎弟。
サキ「こういうの見ると、気になってしょうがないタチでね。」
舎弟「ありがとうございまっス!」
サキ「いいから。好きでやるだけだからさ。ただし、さっきの話は轟には言うんじゃないよ。」
舎弟「さっきの話って・・・」
サキ「は・つ・も・う・で・の・は・な・し・だ・ろ」
と、眉間にしわを寄せる、いわゆるヤンキー顔で凄むサキ。
舎弟「はいはいそうでしたっス。しかし番長が知ったら驚くっスね。まさか一目惚れの相手が・・・」
と言いかけた舎弟だったが、サキの殺気を感じて話題を変えた。
舎弟「た、他言はしないっスから。ところでいつもそんな物持ち歩いてるスか?」
サキ「そうだね・・・喧嘩なんかで服が破れたりする事も多いからね。いつも持ち歩いてるよ。
   もっとも最近はめっきり使わなくなったけどね。ふふっ。」
サキがなにか楽しげにほつれと鉤裂きを繕っているのを見ていた舎弟、何かが心に芽生える。
舎弟(美しくて、こんな事に気が付いて、表向き不良やってるけど、実は結構良妻賢母型じゃないスか・・・ほ、惚れたっス!)
サキ「ほら、出来た。はいよ。」
と、ズボンを舎弟に渡す。
舎弟「ありがとうございましたっス!」
サキ「だからいいって・・・早く穿きなよ。」
舎弟「あ、そうっスね。」
慌ててズボンを穿く舎弟。そこに聞き覚えのある音が聞こえて来た。からん・・・ころん・・・下駄の音だ。
サキ「!」
ばっ、と音の方を見るサキ。轟が来たのだ。そのサキの様子を見た舎弟はいきなり落ち込んだ。
舎弟(今の表情って、まるでご主人が帰って来た時の飼い犬みたいじゃないスか・・・
   いや、例えが悪いスね。そう、恋人を待ってた女性そのものスよ・・・それってつまりは両想いって事じゃないスか・・・)
サキ「轟!やっと来たね!勝負だよ!」

そう叫んで轟の許へ走るサキ。その背中を見送りつつ、自分の恋はほんの数十秒で終わった事を知る舎弟だった。



第五章 写真と湯当たり

1月某日、サキの許に一通の封書が届いた。
サキ「ん、なにこれ。差出人は・・・・轟!・・・・高校?紛らわしい。一瞬あいつかと・・・」
開封してみる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

寒さ厳しき折、益々御健勝の事と思われます。

中略

この度、近隣番長親睦会として、1泊2日の温泉旅行を企画いたしました。
ツアー中はいつもと違った勝負でお楽しみ頂きたいと存じます。
つきましては振るってのご参加をお待ちしております。
尚、成績優秀者一名には賞品も用意しております

連絡は以下へ。

後略

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サキ「は?近隣番長親睦会?なんだそりゃ・・・近隣って事はつまり、あいつだろ、
   それからチャッピーにノリオ、それにアタイって事?」
サキ「ふん、ばかばかしい。アタイは奴らとつるんで仲良しごっこなんかやるつもりは無いよ!」
サキはそう言って案内を放り投げる。
サキ「どうせならあいつと二人っきりで・・・」
自分で言い掛けて恥ずかしくなったのか口ごもるサキ。だが、そこである事に気付く。
サキ「二人っきり・・・じゃないにしても!まさか・・・・!」
慌てて案内書を引っ掴み、文面を確認する。
サキ「あー、やっぱりいー!あの娘も参加するんじゃん!やばい、やばいよー。この旅行を機に更に親密に!
   なんて事になったら・・・ヤダヤダヤダ!・・・これは参加しないと!」

旅行当日の朝。案内を受け取った全員が集合した。
操 「えー、本日は皆様、賑々しくご参加頂き真にありがとうございます。私、今回ツアコン並びに進行役を務めさせて頂きます、
   青山操と申します。と言っても既に皆さんご存知かとは思いますが☆ともあれよろしくお願いしまーす。」
轟 「・・・お前、そんなキャラだったか?」
操 「はい、不粋な質問は無視しますー。では本日のスタッフを紹介致します。
   引率兼マイクロバス運転手に伊集院薫先生!」
薫 「鬼のしごきも愛の鞭〜♪」
この男の名は伊集院薫。轟高校の教師であり、轟金剛の師匠的立場の男である。
口髭と、頭頂部にのみ髪の毛が生えた独特のヘアスタイルが特徴だが、それはヅラである。
操 「はいはい、カラオケは現地でどうぞ。続きましては保健担当桜井マチコ先生!」
マチコ「いやーん、まいっちんぐ☆」
轟 「だからみんなキャラが・・・」
操 「ついでにパシリ担当、舎弟君!」
舎弟「んーっんーっ」
操 「はいそこ、反射的にボンタン狩りしないように。」
ノリオ「ウヒョ。」
サキ(なんだ、別にそんなに色っぽい雰囲気になりそうな感じじゃないな・・・いやいや、油断は禁物。)
チャッピー「シツモンデース。」
操 「はいどうぞ、煉獄のチャッピーさん。」
白ランにアフロヘア、それもV字と言うか、ハート型と言うか、ともかく個性的な髪型で、俗にキャッツアイと呼ばれるサングラスを
掛けたこの男の名はチャッピー。黒人。アメリカンスクールで何故か習慣が無いはずの番を張る。通り名は煉獄のチャッピー。
チャッピー「ショウヒンッテ、ナンデショー?」
操 「それは秘密という事で。参加者各々向けの品物を用意しておりますが、ゲット出来るのは一名のみ。
   敗者は賞品がなんだったのか知る事すらできませーん。」
チャッピー「ワカリマシター。」
操 「それでは皆さん、よろしいですか?では温泉に向けてしゅっぱーつ!」
一同「はーい」
サキ(ブツブツ・・・接近を阻止というよりむしろアタイが接近・・・ブツブツ)

そしてマイクロバスで出発して2時間ほど。目的地の温泉旅館に到着。部屋に通され一息つく一同。

轟 「んー、着いたか。よし、早速ひとっ風呂・・・」
操 「はいストーップ。ここで本日の勝負第一ラウンド!温泉卓球ー!ワーパチパチパチ」
轟 「な?着くなりか?しかも卓球って、いつもと同じじゃねえか。」
操 「ちっちっちっ。今日ここでやって頂くのは世間一般で言う所の卓球。力任せの轟流ではありませーん。
   KOは無いので一発逆転無し、テクニックが要求されまーす。」
ノリオ「オヘヒョヒョクヒャンヒョウヒャニャ!」
サキ「へ?」
チャッピー「オレノドクダンジョウダナ、トイッテマース。」
轟 「お前、外人のくせに俺らにも聞き取れない奴の日本語を・・・」
そう、ノリオは前歯が何本か欠けていて、言葉の発音が明瞭ではなかった。いや、既にそんなレベルすらも凌駕して、
喚き声にしか聞こえないのであるが。
チャッピー「イミハワカリマセーン。」
サキ「解らなくていいから。通訳決まりな。」
チャッピー「アリエナーイ。」

一行はそのまま旅館内卓球場へ向かった。
操 「では勝負のルールを。普通の卓球で勝敗を決め、トップには1ポイント、最下位には罰ゲームが与えられます。
  これ以降も複数の勝負をこなし、最終的にポイントの最も多い人が勝者となります。順位付けは逆トーナメント方式。
  4人なので敗者が決勝、いえ、最下位決定戦に進み、最下位が決まります。勝者の二人は・・・ジャンケンでもして首位決めて下さい。」
轟 「なんだ?なんで決勝がジャンケンなんだよ!」
操 「いい質問です。それは勝者の1ポイントより敗者の罰ゲームの方が盛り上がるからですね。」
轟 「悪趣味な・・・・」

そして、敗者決定戦に進んでしまったのは轟とサキ。サキは、卓球を得意とするノリオが相手で勝てる訳も無く普通に負けたが、
轟に至っては、いつもの癖でチャッピー相手についボディーばかり狙ってしまい自滅。
ジャンケンの勝者は本来卓球を苦手とするチャッピーだった。
ノリオ「フォンヒャヒョヒャヒュウヒョイヒヒャニャイ!」
チャッピー「コンナノタッキュウノイミガナーイトイッテマース。」
操 「では最下位決定戦、開始〜!」
轟 「疾風の、悪く思うな。勝たせてもらう!」
サキ「その言葉、そっくりお返しするよ!」
 ・
 ・
 ・
轟 「なんで、なんでコートに入らないんだーーーー!」
結局、力の加減が出来なかった轟はまたも自滅。最下位が決定した。
サキ「ふう。最下位だけは免れたか・・・で、罰ゲームってなんなのさ?」
薫 「特訓開始〜〜〜〜〜!!」
轟 「な!こんな所まで来て特訓ですか!」
と言いつつ条件反射で指立て伏せを始める轟。
操 「こんな所だからこそ罰ゲームになるのよ。さて、一位から三位の皆さん、こちらにございますロープをご覧下さい。」
そこにはいつのまにやら天井から例のロープが下がっている。
操 「さて、今から一人ずつこのロープを引っ張って頂きます。その結果、鉄塊が落ちて来たなら特別に1ポイント獲得となります!
   では、3位のサキさんからどうぞ!」
サキ「鉄塊って・・・?落ちて来るってどこにさ?」
と言いつつ無造作にロープを引っ張るサキ。見事に落ちてくる1t。
轟 「ぐわあああああああ!」
サキ「うわっ・・・・おい、これ大丈夫なのか?」
轟 「大丈夫、だ・・・いつもの事だ。」
サキ「・・・あんたの馬鹿力の理由が解ったような気がするよ・・・」
ノリオ「アヒャ」ぐいっ
轟 「ぐわあああああああ!」
チャッピー「イキマース」ぐいっ
轟 「ぐわあああああああ!」
見事16t。
サキ「ところでさ、まさか轟以外が最下位になってもこれやらされるのかい?一般人は死ぬよ、これ・・・」
操 「ご安心下さい。これは轟君専用罰ゲームです。」
薫 「行くぞおおおおおおおおおおおお!」
操 「はい、それでは次の勝負に参りましょうか!」
轟 「おい待て、ぜえぜえ、休ませろ、はあはあ。」
操 「休みの必要はありませーん。次はゆっくりと温泉に浸かって頂きます。」
轟 「それならそうと・・・待て。なんでそれが勝負なんだ?」
操 「第2ラウンド〜!熱湯温泉我慢比べ〜!」
サキ「台が違わないか?それ・・・」
 ・
 ・
 ・
またしても轟が最下位。事前に特訓で汗を流していたのが敗因だった。
首位はチャッピー。我慢したと言うより湯当たりで動かなくなったのに誰も気付かなかっただけだが。因みにサキは水着着用。

そして16t。

操 「第3ラウンド〜!温泉射的〜!」

16t。

操 「第4ラウンド〜!」

16t。

操 「第5」

16t。

轟 「・・・・・・・・・」
操 「あれ、動かなくなっちゃいましたね。でも大丈夫。最終ラウンドは頭脳勝負!最終ラウンド〜!温泉の夜と言ったらこれ!温泉麻雀〜!」
サキ「ちょ、ちょっと、アタイ麻雀なんか知らないよ!」
操 「では簡単にルールの説明を・・・あーやってこーやってうんたらかんたら・・・」
サキ「ふんふん。」
操 「んでもってこうなったらこうなって・・・」
サキ「ふむ。」
操 「まあ、要するに3個が4組、2個が一組の状態になったら上がれるって事。」
サキ「基本的な事は解ったような気がするけど、その役っていうのを覚えなきゃ話にならないんじゃないか?」
操 「そこはご心配無く。舎弟君をフォローに付けますので。」
チャッピー「ダツイハアリマスカ?」
操 「ありません☆」
チャッピー「ザンネンデース。」
ノリオ「ウヒ。」
操 「ではここで麻雀勝負のルールを説明します。東風戦、ダブロンあり割れ目あり、飛びで終了です。なお、得点はこの勝負に限り
   持ち点がそのままポイントとして加算されます!最下位の轟君にも充分逆転のチャンスがある訳です!それではがんばって下さい!」

因みにここまででチャッピー7点、ノリオ7点、サキ6点、轟0点である。

サキ「?」
ノリオ「ウヒョヒャイヒャヒャヘヒョヒョオフニョヒヒハ!」
チャッピー「ソレジャイママデノショウブノイミハ?トイッテマース。」
轟 「もうなんでもいい・・・」
操 「それでは、闘牌開始い〜!」

起家はサキ。下家にチャッピー、対面にノリオ、上家に轟、割れ目サキ。
サキ「えーと、3・3・3・3・2だったよな・・・って事は捨てるのはこれか。」
何故か後ろで見ていた舎弟の顔が凍りついている。
サキ「リーチ・・・でいいんだよな?」
舎弟の方を振り向き訊くサキ。舎弟はぶんぶんと首を縦に振る。
チャッピー「エー、ダブリーデスカー。アタッタラコウツウジコデース。」
打北。通り。
ノリオ「ウヒャ。」
打北。安牌。
轟 「西。」
打西。
舎弟「ロロロロ、ローーーーーーン!っス!サキさん!」
サキ「え?え?ああ、上がりって事か。ロン。」
牌を倒す。白が3枚、發が3枚、中が3枚、東が3枚、西が一枚。早い話が四暗刻単騎・大三元・字一色のフォース役満。
48000×4=192000の、更に割れ目で倍の384000点。有り得ない高得点。ついでに一発のおまけつき。
舎弟「ビギナーズラックにも程があるっス・・・」
東一局、一巡目で飛び。轟は真っ白な灰になっていた・・・

操 「結果発表〜!1位は384006点でサキさん!おめでとうございます〜!
   2位は7点でチャッピーさんとノリオさん、4位はマイナス384000点の轟君!残念でした!」
操 「それでは賞品の授与を行います。ぶっちぎりでトップのサキさん!どうぞ!」
と言って、サキにちょっと大き目の封筒を渡す操。
サキ「なんだこれ・・・」
と開封しようとするサキを操が制する。
操 「おーっとっと、それはお家に帰ってからにした方がいいですよ?」
サキ「なんだいそりゃ。まあそう言うならそうするけどさ。」
轟 「終わりだな?終わったんだよな?俺、普通に風呂行って来る・・・」

露天風呂男湯

轟 「・・・死ぬかと思った。無意味な特訓五連荘はさすがに堪える・・・全部16tだったし。てか落ちてきたら、じゃなくて
   必ず落ちるようになってたろ!あれ!」
サキ「あはは、大丈夫かい、轟。」
轟 「うわっ疾風の!お前どこに・・・って仕切りの向こうか。」
女湯にはサキが来ていた。
サキ「ちょっと訊きたいんだけどさ。」
轟 「なんだ?」
サキ「今回の旅行、企画したのってひょっとしてあんたかい?」
轟 「ああ。」
サキ「やっぱりな。どうせいつもの喧嘩なんかやめて仲良くしましょうってノリか。」
轟 「まあ、そんなところだ。」
サキ「まったく、相変わらず甘っちょろい事言ってるんだね。・・・でも、まあ楽しかったけどな。」
轟 「そうか。そりゃ良かった。」
サキ「だけど戻ったらまた敵対関係なんだぞ・・・」
轟 「まあ、それはそれで仕方ない。でもこの旅行は無駄じゃないと俺は思う。」
しばしの沈黙。やがて、
サキ「・・・帰りたくないな」
小声でサキが言う。
轟 「・・・・・・・・」
サキ「ア、アタイ」
意を決して言ってみる。
サキ「あ、あんたと一緒だから楽しかったんだと思う・・・よ。」
轟 「・・・・・・・・」
サキ「轟?いないのか?」
轟 「・・・・・・・・」
男湯の客1「おい!兄ちゃん!大丈夫か!」
男湯の客2「おい脱衣所まで運べ!湯当たりだ!」
サキ「・・・・・・バカ。」
サキはぽつりと呟いた。

その頃。旅館内のバーでは薫とマチコがカウンター席で酒を飲んでいた。

薫 「轟から聞きました。今回の旅行の黒幕はマチコ先生だったそうで。」
マチコ「あら、黒幕だなんて人聞きの悪い。助言者と仰って下さいな。ふふ。」
薫 「いや、これは失礼。でもまたなんで・・・?いや、旅行の趣旨はいいと思いますよ。ただ・・・」
マチコ「そうですわね。近隣の番長を集めて旅行なんて、普通だったら常識外れもいい所ですものね。」
薫 「ええ、まあ・・・ちゃんとガキどもが誘いに応じたのも驚きでしたが・・・」
マチコ「それについては最初から大丈夫だと確信してましたわ。少なくとも一人については。」
薫 「一人・・・?」
マチコ「ええ。実は、私の本当の企みは、その一人のお尻を叩いてあげる事だったんです。」
薫 「うーん、今ひとつ意味が解らないんですが・・・」
マチコ「解らなくていいんですよ。プライベートに立ち入る問題ですから。」
薫 「そうですか・・・分かりました。ではその事は考えない事にしましょう。はっはっはっ。」
いきなり話題が尽きる。
薫 (そう・・・俺だって今回の旅行に期するものはあるんだ・・・マチコ先生に、この想いを今日こそ!)
薫 「マチコせんせへい!」
声が裏返る。
マチコ「はい?」
笑顔で返事するマチコ。
薫 「自分は・・・自分は・・・!」
操 「あ、マチコ先生!ここだったんだ!早く露天風呂行きましょうよ。入浴時間終わっちゃう!」
マチコ「あら、いけない。約束してたわね。ごめんなさい、今行くから。・・・で、なんでしょうか先生?」
薫 「いや、なんでもないです・・・どうぞお風呂行ってください。」
話の腰を折られ、心も折れた薫だった。
マチコ「そうですか?それじゃ失礼しますわね。操ちゃん、おまたせ〜。」
一人残された薫は寂しく酒を煽り続けた・・・

更に一方その頃。卓球台を挟んでノリオとチャッピーが対峙していた。
なお、この二人だけだと読者には何がなんだか解らなくなるので自動通訳でお送りします。

ノリオ「待ってたぜ、煉獄の。」
チャッピー「何の用だ?狂犬の。」
ノリオ「何の用もないだろ。ああ?解ってんじゃねーのか?」
チャッピー「操さんの事か。」
ノリオ「おおよ!彼女を賭けた勝負!受けてもらう!」
そう、実はこの二人、操に惚れている。
チャッピー「それで自分の得意な卓球か・・・恥ずかしくないのか?それに賭けるも何も俺もお前も彼女と付き合ってる訳じゃない。
       告白の優先権とでも言った方がいいんじゃないのか?」
ノリオ「黙れぇ!行くぞ!ウヒャヒャヒャヒャ!」
ノリオがサーブのモーションに入ったその時、後ろの通路を通過する者の話し声が聞こえて来た。
マチコ「あの二人、見てて面白いわね。」
操 「ノリオさんとチャッピーさんですか?」
操の声が聞こえて動きが止まり、耳ダンボになるノリオ。
マチコ「そうそう、なんか漫才コンビみたいで。ね、仮にどちらかと付き合わなきゃいけないとしたらどっちを取る?」
操 「ノリオさんは無いですね。だって、何言ってるか聞き取れない人とは付き合えないですよ。」
マチコ「あ、早く行かないと、露天風呂に入れる時間終わっちゃうわね。」
操 「お風呂楽しみ〜!」

コーンコーンコーンコンコンコンコココ・・・ノリオの手から落ちる球。
ぴしっ・・・という音が聞こえたかも知れない。ノリオはサーブのモーションのまま固まっていた。
チャッピーは無言でその肩をぽん、と叩き、立ち去った。狂犬のノリオ、戦わずして敗北。

再び一方、
薫 「不器用で実らぬ恋もある〜♪」
他に客のいないバーでは薫が一人で歌っていた。

そして温泉の夜は更けて行く・・・

翌日、帰りのマイクロバス内

操 「・・・ねえ、何があったの?」
チャッピー「ヨクハワカリマセンガ、ナニカカナシイコトガアッタラシイデース。」
とぼけるチャッピー。操が気にしているのは最後列の窓際で、外を眺めながらさめざめと泣き続けるノリオだった。
操は車内据付の温蔵庫から缶コーヒーを取り出すと、ノリオの許へ歩く。そして缶コーヒーを差し出し、
操 「どうぞ。何があったのかは判りませんけど、元気出して下さいね。」
そう言ったが、操の優しさは今のノリオにとって凶器だった。缶コーヒーを受け取ったノリオは、操の顔と缶コーヒーを交互に見て、
ノリオ「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!」
とひときわ大きな声を上げて泣き出してしまった。たまらず退散する操。
一方、轟とサキは隣同士の席になっていたが、
サキ「・・・・・・」
轟 「おい、どうした?今朝から仏頂面で。」
サキは昨夜の露天風呂の件で虫の居所が悪かった。
サキ「・・・・・・」
轟 「シカトはないだろう、おい。」
サキ「・・・・・やかましい。昨夜、戻ったら敵同士だって言ったろ?もう慣れ合いは終わりだよ。」
轟 「はいはい分かりましたよ、っと。」
そう言うと轟は帽子を目深に被り、ひと寝入りする事にした。
 ・
 ・
 ・
すー
轟 「・・・・・・・・」
すー
轟 「・・・・・・・・」
すー
轟 「・・・・・・・・」
操 「あらあら、静かだと思えばこれはこれは。」
轟 「しっ・・・」
操 「はいはい、邪魔者は黙りますよ。」
寝息を立てていたのは、轟の肩を枕に居眠りするサキだった。

同日、帰宅したサキ

サキ「あーもうなによなんなのよ!恥ずかしいったら!寝たなら起こしてくれればいいじゃない! あんな事言った後に肩借りて
   寝てたなんて、カッコ付かないじゃないの!でも、起こさない所があいつの優しさなんだろうけど・・・話しかけたのに
   突っぱねられた相手にどうして優しく出来るのよ・・・ほんとに、勝てないよ・・・」

サキ「あ、そういえば賞品ってなんだろ・・・」
思い出したように封筒を開封するサキ。
サキ「写真?それもあいつのばっかり・・・・・!」
釈然としないながらも一枚ずつ見ていくサキ。
サキ「あ、この写真いい!こっちは・・・やーん、なにこれ寝顔?かわいい!」
などと、一人はしゃいでいたが、そこである事に気付く。

(それは秘密という事で。参加者各々向けの品物を用意しておりますが・・・)

サキ「まさか、あの娘気付いてる?だとしたら何これは?余裕のつもり?」
混乱するサキだったが
サキ「あ・・・・」
ある一枚の写真を見てそんな事はどうでもよくなった。どうしても欲しかったが撮る訳にもいかない
轟と自分の、(結果的に)2ショットになっている写真を見つけたのだ。

翌日、そのナリに似合わないファンシーショップで可愛めの卓上スタンドを買うサキがいた。



第六章 チョコとスパイ

2月13日夕刻。
言わずと知れた聖バレンタインデーの前夜。去年までのサキにはまるで縁の無い、興味も無いイベントだったが、今年は違っていた。
サキ「バレンタインデーか・・・ガラじゃないとは思うけど、でも今年は、ねえ・・・」
部屋で独り言を言うサキ
サキ「だけど、チョコあげたりしたら敵対関係っていう建前が無くなって、会う口実が無くなるし。」
普通に好きな男に会いに行く、という発想はサキには無いらしい。
サキ「やっぱりやめとこう。うん。ガラじゃないしね。でもチョコを渡すって、一度やってみたいな・・・」

ふぁんふぁんふぁんふぁーん(妄想突入の音)

サキ「轟、これ・・・受け取って。」
轟 「疾風の・・・これってチョコ、しかも本命チョコか!?」
サキ「もちろんよ・・・通り名なんて止めて。サキって呼んで。」
轟 「そうか。わかった。サキ・・・」
サキ「轟・・・」
轟 「俺もお前が好きだ!」
サキ「私も大好きよ!」

サキ「なーんちゃって!なーんちゃって!やだあ!」
声 「ありあとござましたー。」
やる気の無さそうな接客の声で我に返る。目の前には青っぽいコンビニのユニフォームを着た茶髪の青年が立っていた。
その青年は奇異な物を見るような目でサキを見ている。そこはコンビニのレジ前だった。
自分の手を見ればコンビニ袋を持っている。中には板チョコが10枚ほど。
サキ(な、何これ!?ここコンビニ!?アタイってばまさか無意識にチョコ買いに来たの!?)
青年が自分を見ている理由を理解したサキは慌てて店を後にした。

そして部屋に戻ったサキは、板チョコの束を見て途方に暮れる。
サキ「どーすんのよこれ?食べてもいいけど、それよりなんで無意識に?自分が怖い・・・」
しかし、板チョコが目に入る度に、出来上がった本命チョコを想像してしまう。

ふぁんふぁんふぁんふぁーん

サキ「開けてみて。一生懸命作ったんだから。」
轟 「ああ・・・おっ凄いな。これ本当にお前が作ったのか?」
サキ「意地悪な事言わないで。自分で作ったに決まってるじゃない。」
轟 「ああすまんすまん。・・・お前って意外と女らしい一面があるんだな。」
サキ「全てはあなたのためよ・・・」
轟 「食べてもいいか?」
サキ「勿論よ。その後で私も・・・」
轟 「何だ?」
サキ「もう、女の子にこんな事言わせないで・・・」
轟 「サキ・・・」
サキ「轟・・・」
抱き合う二人。

サキ「なーんつって!なーんつって!いやーんアタイのスケベ!・・・はっ」
今度は自力で我に返った。目の前には母親がいた。さっきの青年と同じような目でサキを見ている。
そこはキッチンだった。テーブルの上を見下ろすと、それはもう立派な、どこに出しても恥ずかしくない見事な出来栄えの
本命チョコが鎮座していた。
母親「サキ・・・大丈夫かい?」
サキ(また・・・やっちゃたんだな、これは・・・)
サキ「あ、ああ、大丈夫。部屋、戻るね・・・」
サキはそう言い残し、チョコを持って部屋に戻った。

サキ「これ、アタイが作ったんだよね・・・さて、作っちゃった物はしょうがないとして、どうする?これ!折角作った物、
   あいつに渡せないと空しいし・・・」
その時、サキは初詣の時の事を思い出した。
サキ「そうだ、これだ!これならチョコは渡せるし、関係は変わらないし完璧!そうと決まったら準備準備!」

翌朝。轟高校前。

サキは自分の学校に行かず、こんな所に来ていた。しかもどこで用意したのか轟高校の制服まで着て。
髪の毛はシャンプーで落とせる染毛剤で黒く染め、伊達メガネを掛けている。要するに変装して、別人として轟にチョコを渡そうというのだ。
サキ(初詣の時は気付かれなかったし、今度もきっと大丈夫だよね・・・さてあいつはっと・・・来た!)
サキは学校前の通りをこちらに歩いて来る轟を見つけた。サキはそのまま校門の前に立っている。
轟は気付かず、見事にその前を素通りした。
サキ(やった!気付いてない!よし、あとはどういうタイミングで渡すかだけど・・・)
考えるサキ。そこへ予鈴が鳴るのが聞こえて来た。
サキ(あ、もうそんな時間なんだ。よし、行くわよ。サキ。)
サキはポケットから携帯ステレオプレーヤーを取り出すとイヤホンを耳に付け、スイッチを入れる。曲はミッションインポシブル。
意外と悪乗りするタイプらしい。
そしてサキは昇降口まで来て再び考える。
サキ(ひとまずあいつの下駄箱探して、クラスを確認しないとね・・・)
とは言っても全校生徒の下駄箱からたった一つを探すのは骨が折れる。
サキ(いい加減疲れてきた・・・それにしても、男子の下駄箱だけ1とか2とか札が下がってるってのは何の意味が・・・?)
不審に思うサキ。読者諸君は轟高校生徒心得を参照して欲しい。
サキ(あ、あった!)
轟金剛と書いてある。ようやく見つけた轟の下駄箱。
サキ(下駄箱に入れておくっていう消極的な手段もあるけど・・・やっぱり手渡しだよね。)
サキはそんな事を考えながらなんとなく下駄箱を開けてみる。
どさどさどさ!
サキ「うわっ!」
下駄箱からはおびただしい量のチョコが溢れてきた。意外に轟はもてるらしい。
サキ(げ・・・ちょっと待ってよ。こんなにライバルがいるの?)
そんな事を考えていると、後ろから声が掛かった。
声 「こら!遅刻か!」
サキ「!」
びくっとして振り返るサキ。見れば、恐らく教師であろう男がそこに立っていた。
サキ(あちゃー、いきなり見つかっちゃったよ・・・)
サキはイヤホンを外し、すみません、と謝る。
教師「いかんなー遅刻は。その校章の色は3年か。どこのクラスだ?」
訊かれたくない事を訊いてくる教師。サキは思わず、
サキ「A組です。」
と自分の学校でのクラスを言った。しかしそれが更に悪い結果をもたらした。
教師「3-A?私のクラスじゃないか。」
サキ(しまった・・・!早くもミッション失敗か・・・)
教師「そうか!君、○山○子君だな!」
サキ「は?」
教師「よしよし、よく登校して来たな!そうだな、やっぱり登校拒否してた手前、いきなり教室には
   行きづらいよな。よし!先生が一緒に行ってやろう!」
サキ「あ、あの、ちょっと・・・」
妙な誤解を解く間も無く、サキは3-Aの教室まで連行された。
教師に手を引かれ、教室に入る。
教師「さあ○山君、こっちへ。」
こうなっては下手に誤解を解こうとするのは得策ではない、そう考えたサキは流れに任せる事にした。
教師「みんな、2学期の頭に転校して来た○山○子君を覚えてるか?1日だけ出て来て登校拒否してしまった彼女を。」
ざわつく教室。担任教師ですら顔を覚えていない生徒の事など誰も覚えている訳が無い。
教師「その彼女がやっと登校してきた。みんな、改めてよろしくしてやってくれ。○山君、君の席はそこだ。」
示された方を見ると空席がある。サキは促されるまま席に着いた。挨拶のような事をさせられなかったのは、
登校拒否児に対する教師なりの気遣いだったのだろうが、サキにとっては好都合だった。
だが、サキの目立ちたくないという思いとはうらはらに、教室の視線はサキに集中していた。
何故なら今日のサキは、いつもの不良丸出しの外見とは180度逆の、ストレートの黒髪に眼鏡、
それにノーメイクで知的な美少女、という風情を醸し出していたからだ。羨望や興味、さまざまな視線が刺さる。
教師「それでは私は職員室に戻る。みんな、○山君をよろしく頼むぞ。」
教師はそう言い残し、教室を出て行った。すると早速隣の女生徒が話しかけて来た。
女子A「よろしくね○山さん。でも正直私、○山さんの顔覚えてなかった・・・ごめんなさい。
   こんなに綺麗な人だったのね。」
と思えばすかさず逆隣の男子生徒が話しかけて来る。
男子A「俺、○○って言うんだ、よろしく。何か分からない事があったら何でも聞いてくれよ!」
次は前の席から
女子B「だめよ○山さん、こいつってば結構な女たらしなんだから。」
今度は離れた席からわざわざ歩いて来た男子。
男子B「よろしく○山さん。僕はクラス委員をやってる・・・」
男子C「ガリは引っ込んでろ!」
女子C「ねえねえ、○山さんって・・・」
男子D「○山さん、しゅ、趣味はなんですか?ボ、ボクはフィギュア作ったり・・・」
女子D「オタキモいよ!」
あっという間にクラスの人気者になってしまったサキ。この状況に彼女は曖昧な笑みを返すしかなかった。
教師B「こら!何騒いでる!席に着かんか!」
この時限の科目の担当教師が入って来た。まだ若く、いかにも新任です、という風の男性教師だった。
担当科目は数学である。
女子A(気を付けて・・・あいつ生徒をいじめるのが生きがいみたいな奴だから、○山さんなんか格好のターゲットよ。目立たないようにね。)
隣の女子がサキに耳打ちする。なるほど、見れば確かにその教師は性格の悪そうな顔をしていた。
教師B「ん?見慣れない顔がいるな・・・」
しかし教師はめざとくサキを見付けた。今のサキに目立つなと言う方が無理な相談なのだ。
教師B「その席は確か登校拒否してた奴の席だったな・・・そうか、出て来たか。」
そう言いつつ微笑を浮かべる。ただ微笑とは言っても、人に好印象を与えるような物ではなかった。
むしろ真逆。ぞっとするような冷たい笑顔だった。その笑顔で教室は静まり返った。
授業が始まり、30分もしたころであろうか。教師が突然脈絡の無い事を言い出した。
教師B「そう言えば○山は、半年授業に出なかったんだよな。て事は授業なんて受けなくてもいいって思ってた訳だ。」
ニヤニヤ笑いながら勝手な理屈を展開する。
教師B「という事は家でよっぽどの勉強をしてた訳だ。そうだ、みんなにその成果を見てもらったらどうだ?」
ざわっ・・・教室の空気が変わる中、教師は黒板に問題を書き始める。
教師B「さて、このぐらいの問題なら簡単に解けるよな?」
それを見た女子の一人が発言する。
女子E「先生!それってまだ私たちも教わってない範囲です!」
教師B「だからなんだ?○山は学校なんかいらないぐらい頭がいいはずだろ?このぐらい大した事無いさ。さ、○山、やってみろ。」
教師に促され、仕方ないな、という風に立ち上がり黒板に向かうサキ。そして黒板の前に立ち、問題をを見つめる事数十秒。
教師B「どうした?このぐらいの問題・・・」
サキ「うるさいよ。黙って見てな。」
無意識に姉御口調で言うサキ。
教師B「な、何を・・・」
教師が何か言いかけた時、サキはチョークを持って黒板に答えを書いていく。水を打ったように静かになった教室に、
チョークの音がカツ、カツと響く。
やがてサキはふう、と息をつき、チョークを置くとぱんぱんと手を叩き合せてチョークの粉を払い、
サキ「これでどうでしょうか?先生?」
と訊ねる。黒板に書かれたのは完全無欠の正解だった。実はサキ、自分の学校では成績がいい。
教師B「・・・・・」
サキ「どうだって訊いてるのが聞こえないのかい!?」
ボリュームを上げ、更に迫力を上乗せした姉御口調で言う。
教師B「ヒッ・・・せ、正解だは!」
声が裏返った。完全にビビっている。
わっ、と歓声が上がる。教室中拍手喝采。方々から○山さんを称える声が投げかけられる。
男子B「すげえ!痺れた!」
女子C「かっこいい!」
女子E「ざま−みろ!」
男子F「惚れた・・・」
そのタイミングでチャイムが鳴った。
教師B「じ・・・時間だ時間!今日はここまで!」
教師はそう言い捨て、逃げるように教室を出て行く。
その途端、クラスの全員が黒板の前の○山さん、いや、サキを取り囲んで賛辞の言葉を投げ掛ける。

サキ(あっちゃー・・・面倒な事になってきちゃったよ・・・)

2時限目、3時限目、4時限目。状況はサキの思惑とはどんどん逆の方へシフトして行った。
放課後になる頃には、彼女は3-Aのちょっとしたアイドルになってしまっていた。

きーんこーんかーんこーん

ホッパーエンプティー、もとい、終業の鐘が鳴り響く。

サキ(お、終わった・・・疲れる一日だった・・・早く帰ろう・・・)
律儀にも一日授業に出続けたサキだった。
女子G「○山さん!一緒に帰りませんか?」
サキ(た、頼むからもう開放してくれ・・・)
サキ「ご、ごめんなさい。きょ、今日は父が車で迎えに来てくれる事になってるから・・・」
でまかせを言うサキ。
女子G「あーん、そうなんだ。残念。それじゃまた明日ね!」
サキ「それじゃ。(ごめん。明日はもう来ないんだ。)」
そして教室から生徒が一人減り二人減り・・・サキは適当な所でそっと教室を出た。

そして日も傾いた帰り道。普通そんなボケをかますかというボケをサキはかます。
サキ「あれ・・・アタイ今日は何しに来たんだっけ・・・っておい!目的忘れてる!」
走って取って返す。チョコが机の中に入れっぱなしなのだ。

3-A教室。

サキが教室に戻った時には、もうそこに生徒の姿は無かった。サキは自分の、いや○山さんの席に向かう。
サキ「はあはあ・・・よかった、あった・・・それよりあいつは!?」
サキはまた走って教室から出る。引き違えの戸を勢いよく開け、廊下に飛び出した・・・所で通りがかった人影に危うくぶつかりそうになり、
バランスを崩しよろける。
がしっ
ぶつかりそうになった相手がサキを抱き止めた。辺りはもう薄暗く、お互いの顔は良く見えなかったが、
男 「おい、危ないな。大丈夫だったか?」
聞き覚えがあるどころか絶対に聞き間違えたりしない声がサキに聞こえた。
サキ(と、轟・・・なんて幸せな状況なの・・・)
うっとりするサキ。しかし今度こそ目的を忘れる訳にはいかない。
サキ「あ、ありがとうございました!」
と言って轟の腕から離れると、
サキ「これ受け取ってください!」
脈絡無くチョコの包みを差し出す。訳の判らないまま轟が受け取ると、
サキ「それじゃ、失礼します!」
そう言い残し、逃げるように走り出した。今日はどうもよく走る日である。

再びの帰り道。

サキ「やった、やった、渡しちゃった!でも最後はラッキーだったな・・・やっぱりすごく逞しくて・・・やだあ、もう、アタイったら!」

見ていられないほどの勢いで、一人はしゃぐサキ。その見ていられない状態を、冷たく見詰める視線があった。
その視線の主は、サキの女子高の制服を着た生徒だった。



第七章 勇気とお節介 

唐突だが、舎弟は自室で一人悩んでいた。
舎弟「あーもう、じれったいっス!」
じれったいというのはサキと轟の事である。轟は晴れ着のサキに一目惚れ、サキは轟の事が好き。結局は両想いであるのだが、
その事を知っているのは自分だけ。
しかしサキには口止めされてるし、轟は轟で、一人でいるときに例のかんざしを取り出しては、ため息をつく様子を見る事がある。
要するにまだ忘れられないのだ。
その事をサキに話した事もある。先日、轟との勝負を終え、帰る所のサキに話を振ったのだ。

2月某日。夕刻の公園。
サキの後を追いかけて来た舎弟がサキに声を掛ける。
舎弟「サキさん、ちょっとお話いいっスか?」
サキ「ん?なんだいお前かい。ああ、いいよ。」
舎弟「唐突ですまんスけど、サキさん番長の事好きスよね?」
いきなり核心を突く舎弟。
サキ「ば!な、な・・・」
舎弟「バナナ?」
サキ「違ーーーう!そうじゃなくて!そんなこと、ある訳ないだろ!」
舎弟「嘘っス。自分はこの前理解したっス。サキさんの番長を見る目は恋する女性の目だって。」
サキ「・・・・・そ、そんな。アンタにまでばれてるなんて・・・」
マチコ、操、そして舎弟。どうも轟の周りには鋭いのが多い。
舎弟「気付かない方がおかしいっス。でも、一番気付かなきゃいけない人が全然気付いてないスけどね。」
サキ「そうなんだよ!」
食いついた、と舎弟は思った。こうなれば彼のペースである。
サキ「まったくあいつってばなんであんなに鈍いかね?この前だって温泉でさ・・・」
普段から想いが伝わらないもどかしさを感じていたのだろう、一気に愚痴を吐き出すサキ。

舎弟「どうスか?気持ち軽くなったスか?」
ひとしきり話し終えたサキに舎弟が訊く。
サキ「あ、ああ・・・まったく不思議な奴だねお前って・・・」
舎弟「褒め言葉と受け取っとくっス。で本題なんスが・・・」
舎弟はかんざしの件をサキに話してみた。
サキ「そうなのかい?・・・でも駄目だよ。それはアタイが好きなんじゃなくて、金髪で晴着の名前も知らない女が好きなんだから。
   アタイだって判ったらきっとがっかりするだけさ・・・」
舎弟はそれは違う、と思った。気付かない轟が鈍いという事は置いておくとしても、がっかりするほどいつものサキには
魅力が無い訳じゃない、サキは否定するかも知れないが、轟だってサキの事を憎からず、いや少なくとも好意を持って
接しているのは間違い無い、と。だが、そう告げてもサキはこう言った。
サキ「そうだとしても、あいつが自分で気付かない限りは、いつものアタイを好きになるって事にはならないだろ?それに、
   なんだかんだ言っても今の関係って結構居心地いいんだよ。」
舎弟「サキさんがそう言うなら・・・それでいいのかも知れないっスけど・・・」
サキ「ん?」
舎弟「自分は辛いっス。」
サキ「は?」
意味が理解出来ないサキ。
舎弟「いえ、なんでもないっス。それじゃこれで失礼するっス。ありがとうございましたっス。」
頭の上に”?”マークが浮かびそうな表情のサキを残し、舎弟はその場を後にした。

と、そんな事があり、舎弟は悩んでいたのだ。
舎弟「このままどっちつかずの状態って自分には辛過ぎるっスよ・・・かと言ってあの二人が付き合う事になっても
   操さんが悲しむ事になるっス・・・あーーーー!どうすればいいスか!」
舎弟は気配りの男だった。強力な話術と気配り。将来出世するに違いない。
舎弟「でも、やっぱりお節介かも知れんスけど、何もせずにはいられないス!」
舎弟は一つの決意をした。

数日後。河川敷。
舎弟はこの数日間チャンスを待っていた。サキが轟の許へ来るのを。
この真冬に、晴れているとはいえ屋外で昼寝する変人に付き合うのはきついものがあったが。
そしてついにそのチャンスがやって来た。
サキ「轟!勝負しな!」
轟 「おう、それじゃ・・・」
舎弟「ちょっと待ったっス。」
割り込む舎弟。
轟 「ん?なんだ舎弟。」
舎弟「今回の勝負、自分に代理させて欲しいっス。」
轟 「お前が?俺の代わりに?」
舎弟「違うっス!逆っス!自分がサキさんの代わりになって番長と勝負させて欲しいんス!」
サキ「え・・・ええええええ!?な、何それ!」
意味が掴めないサキと轟。
轟 「・・・理由、あるんだろ?」
舎弟「思うところあるっス。でもそれは聞かないで欲しいんス。黙って勝負してやって下さいっス!」
頭を下げる舎弟。
轟 「そうか・・・よし、分かった。種目はなんだ?」
舎弟「ドッジボールでお願いするっス!」
轟 「いいだろう・・・」
サキ「ちょ、ちょっと・・・」
学校のグラウンドへ向けて歩き出す二人。その後をサキも追う。

轟高校グラウンド。
舎弟「サキさん、今回は悪いスけどギャラリーしててもらえるスか?」
サキ「そりゃいいけど・・・なんで代わりなんか?」
舎弟「とにかく今日は見ていて欲しいんス。自分が番長相手にどれだけやれるか。」
サキ「だからなんで・・・」
舎弟「自分はサキさんの事好きっス。」
サキ「・・・・・・・!」
舎弟「だから番長の事で苦しむサキさん見てると辛いっス。」
サキ「あんた・・・」
舎弟「それじゃ行くっス。」
舎弟はそう告げるとコートに入っていった。

番長「準備はいいな?よし、お前から来い。」
そう言って轟は舎弟にボールを投げる。それを受け取った舎弟が言う。
舎弟「遠慮や手加減は無しっスからね。」
轟 「当然だ。」
舎弟「それ聞いて安心したっス・・・それじゃ行くっス!」

舎弟と轟の、一対一のドッジボール勝負が始まった。

勝負が始まって、もう十数分が経っただろうか。ほぼ無傷の轟に対して舎弟はボロボロになっていた。
轟 「おらあ!」
舎弟「ぐふぅっ・・・!」
何度目かの直撃。舎弟はそれでも立ち上がり、
舎弟「ボールはまだ生きてるっス・・・」
と、言葉とは裏腹に、死んだ返球をする。轟は足元に転がってきたボールを拾い上げると、
轟 「よくこれだけの攻撃に耐えたな・・・褒めてやるぞ。だが!」
そう言いながら一際大きなフォームで振りかぶる。轟の必殺球のフォームだ。
舎弟「!」
轟 「往生せいや!」
避けずに捕りに行く舎弟。しかし今の舎弟にはそれも敵わず、またも直撃してしまった。
そして舎弟はとうとう力尽き、大の字に倒れてしまった。
舎弟「はあ・・・はあ・・・ありがとう・・・ございました・・・っス!」
それを聞き、立ち去る轟。舎弟にサキが駆け寄る。
サキ「ちょっと・・・大丈夫かい?」
舎弟「大丈夫っス・・・さすがに限界スけど。」
そう言いながらなんとか立ち上がる舎弟。
サキ「アタイには解らないよ。なんでこんな事・・・」
舎弟「・・・自分はこれだけやれたっス。だからサキさんも勇気出して欲しいっス。」
サキ「!」
舎弟「早い話がただのお節介ス。自己満足っスよ。」
サキ「まったくもう・・・バカだね。」
ちょっとだけ泣きそうになるサキ。
舎弟「それじゃ自分はこれで失礼するっス。・・・サキさん?」
サキ「え?」
舎弟は背中を向け、歩き出した所でサキに問いかける。
舎弟「今日の自分、カッコよかったスかね?」
サキ「ああ・・・思わず惚れちゃいそうなぐらいにカッコよかったよ。」
それを聞いた舎弟はサキに満面の笑顔を向け、右腕でガッツポーズを作った。

サキは去っていく舎弟の背中を見送りながら、
サキ「勇気、か・・・」
そう独り呟いていた。



第八章 嫉妬と下克上

サキ「舐めんじゃないよっ!」
2月某日。今日もサキは轟と勝負していた。しかし紙相撲ではない。卓球だった。
最近の二人の勝負は卓球をメインに、たまに紙相撲、ごく稀に試しで1対1でドッジボールというローテーションだ。
轟 「貧弱ぅ!」
軽快なラリーが続く。しかし、
サキ「そんな・・・・っ」
サキの打球はネットに引っ掛かり、試合終了。
轟 「・・・なかなかやるようになったな。今日は惜しかったが。」
サキ「ふん、今日の所はこのぐらいにしといてやるよ。次はそのツラにぶち当ててKOしてやるからね!」
轟 「上等。いつでも相手してやるぞ。」
ニッと笑う轟に、僅かに微笑を返すサキだったがそこへ、
操 「轟君。」
操の轟を呼ぶ声が聞こえた。声の方を見ると、操が体育館の入り口から顔を出して、そして歩いて来た。
サキの顔から僅かな微笑みが消え去り、曇る。操は会釈をサキに向け、そのまま轟の方へ行く。
轟 「おう、操。なんだ?」
操 「ほら、今日お弁当まだだったでしょ。はい。」
轟 「お、いつも悪いな。」
操 「今日は自信作だから安心して。」
轟 「本当か?この前もそう言って酷い物食わされたぞ。」
操 「今度は本当に大丈夫!ちゃんと味見したし・・・あ。」
轟 「お前、今まで味見してなかったのかよ!」
操 「あはははは・・・美味しそうじゃなかったもんで・・・エヘヘ。」
轟 「エヘヘじゃねえ!」
操 「だ、だから今日のは大丈夫!美味しかったんだから!」
轟 「まったく・・・あれ?」
操 「なに?」
轟 「あいつ・・・帰っちゃったか。」
操 「サキさん?ほんとだ。いつの間に・・・こりゃちょっとマズったかな。」

ここで操の名誉の為に言っておくと、彼女は料理が下手だから弁当が不味いという訳ではない。むしろ料理は上手い。
本来の目的の相手は別にいて、その相手の嗜好が問題なのだ。

ところで、勝負が紙相撲でなかった訳は、話を遡る事一週間ほど。

轟との紙相撲勝負を終えた帰り道。独り呟くサキ。
サキ「今日も10戦全勝・・・勝ち続けてるのに再戦を挑み続けるっていうのも不自然になってきちゃったかな・・・
   ドッジボールは駄目だとしても、せめて卓球ぐらいはなんとか試合になるぐらいにならないとまずいかな。」
チャッピー「イイアイデアガアリマース。」
サキ「うわっ!ちょ、チャッピー!?お、お前今の聞いてたのか!?」
チャッピー「オオキナコエノヒトリゴトデシタヨ。」
サキ「うっ・・・だ、だけどアタイは轟に会いたいから勝負してるって訳じゃないんだからね!どんな分野でも勝てて
   初めてあいつに勝ったって言えるから・・・」
チャッピー「ソレ、カタルニオチタ、ッテヤツデース。」
サキ「・・・・・」
チャッピー「イインデース。ワタシシッテマシタヨ。」
サキ「な、なんで・・・」
チャッピー「ガールフレンドカラノジョウホウトダケイッテオキマース。」
サキ「え?お前彼女いたの?てか誰だよ?この事知ってる女って?」
チャッピー「ソレハノーコメントデース。」
サキ「ちっ・・・で!?アイデアってのは!?」
ちょっと苛ついた口調でサキが切り出す。
チャッピー「Oh、ソーデシタ。ティーチャー!ドウゾ!」
すると物陰から見知った顔が現れた。
ノリオ「アヒャ。」

チャッピーのアイデアとは、ノリオに師事しての卓球の特訓だった。運動系は不得意なサキだったが講師の腕がよく、
めきめきと上達していった。但し、講師の指導は通訳が必要なため、かなり効率は悪かったが・・・
そして一週間の時が流れ、

ノリオ「ヒョフヒャンヒャッヒャ(以下略)」
チャッピー「ヨクガンバッタ、モウオマエニオシエルコトハナニモナーイ、トイッテマース。」
サキ「こんなもんで大丈夫なのかい?相手はあの轟だよ?」
ノリオ「フヒュンヒ(以下略)」
チャッピー「ジブンニジシンヲモテ!スクナクトモシアイニナルレベルマデハヒキアゲタハズダ!トイッテマース。」
サキ「そうかい・・・解った。ありがとう。でもなんでアタイに協力してくれたんだい?」
ノリオ「(全略)」
チャッピー「タッキュウヲアイスルガユエノムショウノキョウリョクダ!トイッテマース。」
ノリオ(嘘嘘。これでサキとあのアホがくっつけば、操はフリー。まだチャンスはある!言語の壁なんか乗り越えてやるぜえ!」
チャッピー「・・・テヤルゼエ!トイッテマース。」

自動通訳オン

ノリオ「て、てめえ、何故俺の考えてる事が解った!?」
チャッピー「文末を見ろ。鍵カッコになってるだろ。途中から声に出してたぞ。」
ノリオ「げ・・・本当だ・・・てか、だからって勝手に通訳するんじゃねえ!」
チャッピー「そうか。悪かった。」

自動通訳オフ

サキ「・・・なんか、利用されてるみたいで気分悪いけど、まあ、感謝はしとくよ。」
チャッピー「ドウイタシマシテー」
ノリオ「オヒェヒョヒェヒフュヒャ!(俺の台詞だ!)」

さまざまな思惑が絡み合っての特訓ではあったが、この時点で既にノリオはノーチャンスだった事が後に明らかになる。狸はチャッピー。

そして時は元に戻り、卓球勝負の帰り道、轟高校のすぐ裏の公園。もうそろそろ日が落ちる頃。
サキはまだ帰っていなかった。

サキ「・・・そうだよね、いつも一緒にいるんだもん、そういう関係だっておかしくないよね・・・」
さっきのじゃれあう二人の映像が脳裏から離れず、ベンチに座って一人あれこれ考えていたのだ。
サキ「何やってるんだろ、アタイは・・・考えたってしょうがないじゃない。」
そう呟いて立ち上がり、歩き始めたサキ。その前を遮る人影が現れた。いや、前だけではない。横も。後ろも。
数人に囲まれる格好になった。
サキ「・・・なんのつもりだい。」
サキは最初に彼女の前に現れた人影に向かって言う。人影は彼女の知った顔だった。
人影は金髪のツインテールの女子高生。サキと同じ学校の制服を着ている。彼女はサキのスケバングループで
No.2の立場にいる瑠璃という女生徒であり、他はメンバーの女生徒である。
瑠璃「なんのつもりかは自分が一番よく知ってるんじゃないかしら?」
サキ「なんだと?」
瑠璃「今日も腰抜け番長と楽しいお遊戯の帰りでしょ?腑抜けのサキさん?」
そう、最近、轟高校の番長は喧嘩も出来ない腰抜け番長という風評が広まっていた。校長の御曹子という威光で
その座に座っていると思われているのだ。ただ当の本人は、そう思うなら思わせておけ、と気にする風ではないが。
そして、言い方にトゲはあるが、図星を指されたサキは言葉に詰まる。
瑠璃「私は腑抜けになったアンタが番を張ってるのが我慢出来ないの・・・その下に甘んじるのもね!」
サキ「・・・で?どうしたいんだ?」
瑠璃「知れた事!今日から番を張るのは私!アンタには降りてもらう!タイマン勝負、受けなさい!」
ここで言う勝負とは、勿論喧嘩の事である。
サキ「下克上って事かい・・・上等だよ、掛かって来な!」
瑠璃「行くわよ!」
瑠璃のファイティングスタイルは女だてらにシュート。睨み合いから一転、
一気に間合いを詰める二人、サキが瑠璃の初撃をさけながら拳を出そうとしたその時。

(暴力は何も生まん・・・憎しみ以外はな。)

サキ(なっ・・・こんな時に・・・!)
いつかの轟の言葉が頭をよぎる。サキの拳は上がらず、まともにカウンターでパンチを食らってしまった。よろめくサキ。
瑠璃「は!こんなもの!?やっぱり腑抜けね!腰抜け番長がお似合いだわ!」
サキ「黙れ・・・!」
反撃すべく構えるサキ。そこへ容赦無く瑠璃の攻撃が迫る。

(暴力に暴力で応えたらいかんのだ。)

サキ(また・・・!)
再び瑠璃の拳がサキを捉える。
サキ「ふふふ・・・」
瑠璃「な・・・何がおかしいのよ。」
サキ「そうかい。判ったよ。人の痛みを知れって事かい。」
轟高校の校舎を見てうわ言のように呟くサキ。
瑠璃「訳の解らない・・・!事を・・・・!」
瑠璃の連打を、サキは無抵抗で浴び始めた。
その様子を、ついさっき通りがかってから物陰で見ていた者がいた。誰あろう舎弟である。
舎弟「これは・・・ヤバイっス!でも助けるべきは・・・」
舎弟は気付かれないように走り出し、その場を後にした。
舎弟「サキさん、すぐ戻るっスよ!」

瑠璃「いい加減に・・・!倒れ・・・!なさいよっ!」
サキと瑠璃のタイマンはまだ続いていた。いや、それはタイマンとは形容し難い、一方的な蹂躙だった。
瑠璃の打撃に耐えていたサキではあったが、やがてついに力尽き、その場に崩れ落ちた。
瑠璃「はあはあ・・・なによ、なんで手を出さないのよ!」
そう言って瑠璃がサキの襟首を掴み、更に殴ろうとしたその時、
声 「待てや。」
そう言いながら取り巻きを割って現れたのは舎弟を従えた轟だった。
瑠璃「は・・・・・!腰抜け番長のご登場ですか!サキ、王子様のおいでよ。」
確かに今のサキには、轟が白馬に跨った王子様に見えたに違いない。
しかし轟はその言葉を無視してサキの側に膝を突く。
轟 「疾風の・・・何故だ?何故こんな一方的に・・・」
サキは心の中で「あんたのせいだよ、バカ」と毒づきながら、言う。
サキ「ふふ・・・ちょっとどっかのバカの真似しようと思ったらこの様さ。やっぱりバカじゃないと出来ないもんだね。」
轟 「バカはどっちだ!ほんとに・・・バカヤロウが・・・」
轟は絞り出すような声でそう言いながら立ち上がり、
轟 「なあ、もうこれぐらいでいいだろう。許してやったらどうだ。」
と瑠璃に向き直り言う。
しかしその刹那、瑠璃の拳が轟を襲った。駆け抜け様に一発。しかし轟は避けなかった。ガードもしなかった。
轟の口から一筋の血が流れる。そして数メートル離れた所で瑠璃が叫んだ。
瑠璃「はん!冗談じゃないわよ!この際だからあんたも一緒に片付けてあげる!喧嘩も出来ない腰抜けさん!」
その拳にはさっきまで無かった何かが光っていた。よく見ればいつの間にやらメリケンサックをはめている。
轟 「問答無用か・・・仕方ない。」
サキ「轟・・・なんで避けなかった?・・・仕方ないってまさか!?駄目だよ!アタイなんかの為に主義曲げちゃ駄目だ!」
轟 「心配するな・・・舎弟!ボール!」
舎弟「はいっス!」
舎弟から矢のようなパスが飛ぶ。轟はそれを片手でキャッチすると、
轟 「喧嘩が出来ない腰抜けの力、とくと見ろ!」
そう言い放ち振りかぶる。
轟 「往生せいや!」
火の出るような速球が放たれた。ボールは瑠璃の顔を掠め、髪を巻き上げた。その直後、すぐ後ろの木製のベンチが
ボールの直撃を受け、派手な音を立てて破壊された。
瑠璃は恐る恐る振り向いてそれを見ると、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
轟 「運がよかったな。この球は今ひとつコントロールが利かない。」
口をぱくぱくさせて言葉を発せずにいる瑠璃。
轟 「腰抜けの力、解ったら去ねや!」
瑠璃「あわわわわわわわ!」
ほうほうの体で逃げ出す瑠璃。取り巻き達も慌てて追いかける。
サキ「轟・・・」
サキはなんとか立ち上がった。
轟 「大丈夫か?疾風の?」
サキ「アタイなら大丈夫だよ。あいつのパンチ、痛いけど軽いから大したダメージじゃない。そんな事より、なんで避けなかったんだ?
   お前なら少なくともガードは出来たはずだぞ!」
轟 「・・・俺だって怒る事はある。」
サキ「え・・・?」
轟 「コントロールに自信が無いのは確かだが、あれは当てるつもりで投げた。」
サキ「いや、だからなんで・・・」
轟 「ボールとはいえ、当たれば間違い無く傷害だ。だから相手に先に手を出してもらう必要があった。」
サキ「変な所で冷静なんだね、あんたって・・・」
舎弟「冷静じゃないっス!」
サキ「え?」
舎弟「冷静だったら、番長は絶対にわざともらったりしないっス!サキさんのために番長、我を忘れたっス!」
轟 「・・・・・・」
サキ「・・・・・・」
舎弟の一言でちょっと気まずく、と言うか照れくさくなる二人。
サキ「あ、轟、血が・・・」
サキは照れ隠しに轟の口を拭うべく、ハンカチを出そうとしたが、そこに
操 「轟君!サキさん!」
タイミング悪く救急箱を手にした操がやって来た。サキは思わずハンカチをポケットにねじ込む。
操 「二人とも大丈夫!?ちょっと、轟君!口から血が出てるわよ!喧嘩したんじゃないでしょうね!」
操はあっさりハンカチで轟の口を拭った。それを見たサキはポケットの中のハンカチをぎゅっと握り締めた。
轟 「心配するな。殴られただけだ。手は・・・出してない。」

ボールは出したが。

操 「そうお?それよりサキさん!学校近いから保健室に・・・」
サキ「触るな!」
操 「!」
サキ「い、いや・・・すまない。その・・・なんだ。悪いけど一人にしてくれるかい?」
轟 「いや、だが・・・」
サキ「アタイなら大丈夫だから。頼む。」
舎弟「サキさん・・・」
轟 「そうか・・・よし、行くぞ。」
轟は操と舎弟を促す。
サキ「轟。」
サキが轟の背中に呼びかける。
轟 「ん?」
サキ「助けてくれて、ありがとう。」
やっと出た素直な感謝の言葉だった。轟は背中を向けたまま軽く右手を振って返し、言う。
轟 「そいつは舎弟に言ってやってくれ。こいつが呼んでくれなかったら俺はここにいなかった。」
サキ「・・・そうなの?」
舎弟に訊ねるサキ。
舎弟「いや、自分は大した事してないスから。」
サキ「ううん、ありがとう。」
その場の誰も、本人すらも気付いていなかったが、さっきの轟への感謝の言葉といい、この時の舎弟への言葉といい、
サキは自然な女の子言葉を発していた。いや、自然であるが故気付かなかったと言うべきか。
そしてサキもまた踵を返し歩き出す。そのサキの背中を見送りながら操が呟く。
操「またやっちゃったのかしら・・・私。」

翌日。サキの女子高の屋上。放課後。
サキは柵にもたれてぼーっと景色を見ていた。顔の絆創膏と痣が痛々しいが、腫れはすっかり引いていた。
ふと、サキは背後に気配を感じ、その気配に向かって声を掛けた。
サキ「何の用だい?」
瑠璃「・・・もう、可愛げのない。後ろからだーれだ?とか、わっと脅かしたりとかして、話す切っ掛け作ろうと思ったのに。」
サキ「昨日の事ならもういい。もうここの番はお前だ。」
瑠璃「ちょっと待った。それ、誤解してた。」
サキ「何?」
瑠璃「・・・私はさ、あの番長の事腰抜けだって言ってたじゃない。それがとんでもない勘違いだったって事。」
サキ「だから?」
瑠璃「私は、あんたがあんな腰抜けなんかに惚れちまったのか、と思ってどうしょうも無く腹が立ってたのよ。」
サキ「ほ、惚れてなんか!」
瑠璃「はいはい、話は最後まで聞く!・・・でも実際は違ってた。あれだけの力があって、それでも拳を封印するなんて、
   とんでもなく硬派じゃない。喧嘩出来ないのとしないのとじゃ大違いだなって。サキの相手には合格よ。」
サキ「・・・・・・」
瑠璃「それに、私じゃあんな化け物の相手出来ないからさ、ここの番はやっぱりあんた張って。」
サキ「・・・なんつー勝手な事を・・・」
瑠璃「昨日の事は本当に悪かった!でも、手を出さないあんたも悪かったんだからね・・・もしかしてあいつの影響?」
サキ「・・・ふふっそんな所かな・・・」
瑠璃「でもいい男よね。私も惚れちゃいそう。」
サキ「駄目!」
瑠璃「・・・・・・・・・」
サキ「・・・・・・・・・」
瑠璃「ふふーーーん。」
サキ「・・・・・・・・・」
瑠璃「はい、女の子。素直になんなきゃ。」
サキ「・・・だけどさ。素直になったってしょうがないんだよ・・・あいつ、彼女いるんだから。」
瑠璃「え・・・そなの?」
サキ「・・・いつも一緒にいる、可愛い娘。割り込む余地無し。」
瑠璃「そんなのフクロにしちゃえば・・・」
サキ「おい・・・」
瑠璃「だめですよね、はい。」
サキ「でさ、昨夜考えて決めたんだ。今度あいつとドッジボールで勝負して、勝ったら諦めない、負けたらきっぱり諦めて二度と会わないって。」
瑠璃「あの殺人ボール相手に!?ちょ、ちょっと早まらない方が・・・」
サキ「もう遅いよ。今朝果たし状ポストに入れたから。」
瑠璃「あっちゃー・・・わかった。私も協力するわ。舎弟達も連れて行こうよ。チーム戦にすれば壁も作れるし勝てる可能性上がるわよ。」
サキ「瑠璃・・・」
瑠璃「昨日の件の、せめてもの罪滅ぼしよ。任せて!」

折からの風が二人の髪を撫でる。2月の風はまだ冷たかった。
そして数日後、轟の許に果たし状が届いた。



終章 サキと轟

3月某日。勝負当日のグラウンド。対峙するサキと轟。ギャラリーは操、怪我人対策でマチコ先生、
審判兼立会人に薫。

轟 「いいのか?疾風の。ドッジボールで。紙相撲でも良かったんだぞ?」
サキ「いいんだよ!それとも何か不都合でもあるのかい?」
轟 「いやそんな事は・・・」
サキ「じゃあさっさと始めようか。先生?頼むよ。」
薫 「よし、では双方コートに分かれて。」
しかし、サキの様子を見ていたマチコには何か引っ掛かるものがあった。
マチコ「あの子・・・何か思い詰めてるんじゃないかしら・・・」

サキ舎弟「先輩、本当にいいんですか?紙相撲なら楽に勝てるって言うじゃないですか・・・」
瑠璃「いいんだよね。サキ。」
サキ「ああ・・・お前らには済まないけど、今回だけはアタイの我侭に付き合ってくれ。頼む。」
サキ舎弟「いや、先輩がそう言うなら腹決めますよ。なあ、みんな?」
サキ舎弟クローンズ「おう!」
サキ「ありがとう・・・お前ら。」
瑠璃「攻撃は私とサキに任せて、みんなはサキを守る事に集中する事。いい?」
サキ舎弟クローンズ「はい!」
瑠璃「あれ?サキ・・・?」
サキは仲間の輪から離れて相手のフィールドに向かっていた。そして舎弟を呼ぶ。
サキ「・・・この前はありがとうな。」
舎弟「な、なんスかやぶからぼうに。あ、この前のタイマンの事スか?」
サキ「違うよ。勇気を出せ、って言ってくれた事さ。これがアタイの勇気。よく見てな。」
舎弟「そうスか・・・わかったっス。」
そして二人はそれぞれのフィールドに分かれる。

薫 「準備はいいか?では、試合開始いいいいいい!」

ボールはまずサキがキャッチした。秘めた思いもあって気合が違う。瑠璃との絶妙なコンビネーションで舎弟&クローンを
次々に薙ぎ倒していく。
必殺球の連発で舎弟の屍の山を築いていくが、ある所でリバウンドを捕り損ねて転がったボールが轟に渡ってしまう。
瑠璃「・・・まずい!」
轟 「よくもまあ二人でこれだけ片付けてくれたのう!」
と一言の後、例の星飛雄馬のようなフォームで振りかぶる。
サキ(来る!あいつの必殺球!今まで捕れた事は無いけど、今捕れれば勝てる!それに・・・これを捕れなきゃ勝った事にならない!)
瑠璃「来たよ!みんな!サキを・・・」
それを制してサキが叫ぶ。
サキ「壁はいらないよ!」
瑠璃「な!?バカ!何を考えて・・・」
轟 「往生せいや!」
豪腕から大砲とも形容すべきボールがサキを目掛けて放たれた。しかし、轟はサキの様子に違和感を覚えた。
轟 「な!?正面から受け止めるつもりか!?やめろ!お前には無理だ!避けろ!」
叫びながら走り出す轟。しかし投げたボールに追いつく訳も無く、ボールはサキに到達しようとしていた。
サキ「捕る!」
瑠璃「サキィ!」

ぱあああああああああああああああん

乾いた音とともにボールはサキの腕の中にあった。が、衝撃は彼女の体を貫いた。
当たって弾き飛ばされるなら衝撃は分散されるが、足を止めて捕るという事は衝撃を全て受け止めるという事である。
先日の、ベンチを破壊した時と同じレベルの衝撃がサキを襲った事になるのだ。
そして彼女はその場に膝を突き、失神してしまった。ボールを抱えたまま。
意識が遠のく中彼女が感じたのは、自分を抱き止める逞しい腕と、
「・・・チコ先・・・早・・・保健室・・・」という、途切れ途切れに聞こえる叫び声だった。
サキ(あ、これってなんか幸せかも)
そう思いながら彼女の意識はブラックアウトした。

彼女が目覚めて目にしたのは保健室の白い天井だった。
サキ「・・・そうか・・・はは、負けちゃったんだ・・・」
そう言いながら、痛みを感じる腕に目をやる。そこにはまだボールの模様がうす赤く残っていた。
サキ「捕れたんだよね。捕れたのに・・・悔しいな。」
マチコ「あら?お目覚めかしら?」
気配を感じたマチコが声を掛ける。
サキ「あ、先生・・・」
マチコ「気を失ってる間に診させてもらったけど、体に異常は無いみたいね。でも、もう少し寝て行く?」
サキ「いえ、もう大丈夫です。ありがとうございました。」
マチコ「そう・・・無理はしちゃだめよ。それと、お友達は先に帰したけど大丈夫かしら?」
サキ「大丈夫です。一人で帰れますから。本当にありがとうございました。」
今この人に何か言われたら余計な事を言ってしまいそうだ、そう思ったサキはそそくさと着替えを済ませ、
挨拶もそこそこに保健室を出た。そこには、轟達が落ち着かない様子で佇んでいた。
轟 「疾風の!大丈夫なのか!?」
サキ「だ、大丈夫だって。てか自分でぶっ倒しといて大丈夫かも無いもんだ。」
轟 「だってよお・・・まさか正面から捕ろうとするとは・・・」
操 「本当にもう・・・ちょっとは手加減も覚えなさいよ、この筋肉バカは。」
轟 「冗談言うな。手加減なんて、相手に失礼な事が出来るか。」
操 「しようとしたって出来ないくせに・・・」
轟 「うっ・・・そ、それより疾風の、どこか痛んだりしてないか?」
サキ「あんまり馬鹿にするなよ。ほら、この通り。」
サキはそう言って軽くジャンプしてみせる。
舎弟「ううう、無事で何よりっス。」
サキ「・・・もう解ったから。・・・帰ってもいいか?」
轟 「ああ、すまん。そうだな。帰って休んだ方がいいよな。」
サキ「・・・じゃあな。」
簡単な別れを告げ歩き出すサキ。轟はその背中に声を掛ける。
轟 「またな!次は紙相撲でも卓球でもいいぞ!いつでも勝負受けるからな!」
サキは半身だけ振り向き、寂しげな笑みを向けると再び踵を返して歩き出した。その背中を見送る一同の中、
操だけがその笑みの意味に気付いていた。そして少しの時間を置いて、ぼそっと操が言う。
操 「鈍感男・・・」
轟 「ん?なんだって?」
操 「もう!轟君!追いかけて!」
轟 「え?」
操 「駄目だよ!今追いかけないと、きっとサキさんと二度と会えないよ!」
轟 「な、意味がわかんねえ!」
しかし舎弟には理解出来た。
舎弟(あ・・・!サキさんの勇気ってそういう事だったスか!それは・・・違うっスよサキさん!)
操 「轟金剛〜〜〜!!!」
轟 「はひっ!」
操が叫ぶと轟はびくっと気を付けの姿勢を取った。
操 「回れ〜右!!!駆け足〜!!!」
轟 「はひ〜!」
操 「サキさんに会わないで帰って来たら、酷いからね!!!」
轟 「!!!」
その時、轟の脳裏に”パンチルーレットの刑”という言葉が浮かんだ。
その言葉の意味は我々には解る物ではないが、轟を恐怖させるのには充分だった。
轟 「いってきまーーーーーす!」
走り去る轟。
マチコ「あらまあ青春ねえ。」
保健室から出て来たマチコが轟を見送りながらそう言った。
舎弟「でも・・・操さんはこれでいいんスか?」
舎弟が操に訊ねる。
操 「これでいいって・・・あ、舎弟君も勘違いしてるクチね。私が轟君の事好きだって。」
舎弟「え?・・・違ったっスか?」
操 「違います〜。だいたい私、付き合ってる人いるもん。」
マチコ「あら、そうなの?誰かしらね?ミス轟を射止めた幸せ者は。」
操 「エヘヘ〜。呼びましょうか?ヘイカマン!マイダーリン!」
チャッピー「ハーイ」
マチコ「ず、ずいぶんと思い切ったわね・・・」
舎弟「い、いつから付き合ってるんスか?」
操 「温泉旅行から帰って来たあとぐらいかな。告白されて。ね?」
チャッピー「テレマース。」
舎弟「そうスか・・・ほっとしたっス。」
操 「へ?なんで?」
舎弟「あ、いやいや、こっちの事っス。(番長、これであとはあんた次第っスよ!)」

そのころ轟は校門を出た所で困っていた。
轟「しかし、校門出て・・・どっちへ行った!?あいつの家ってどっちの方!?」

一方サキは帰るでもなく、なんとなく河川敷まで来ていた。
サキ(負けちゃった・・・か。もう会わないんだよね・・・サキ。)
サキ(どっか遠くへ行っちゃおうか。あいつに会いたくても会えないくらいの遠くに。)
サキ(って一介の高校生にそんな事が出来るわけも無いか。)
涙で目が滲んで来る。
サキ(強いくせに喧嘩嫌いで優しくて・・・)
サキ(勝負の種目はいつも相手の得意な物を選んでくるお人好しで・・・)
こみ上げて来るものを必死で押さえ付ける。
サキ「やっぱり大好きだよお、うえーん。」
漫画的な表現の言葉で自分に対しておどけてみるが、逆効果だった。
声を出した事が引き金になって、大粒の涙が頬を伝う。もう、人目が無い事も手伝って、
その場に立ち止まって子供のように嗚咽を上げて泣き始める。
(おーい!疾風のー!)
サキ(あはは、幻聴まで聞こえて来た。でも幻聴まで通り名なんだ・・・一度ぐらい名前で呼ばれたかったな。)
(おーい!ガコガコガコ)
サキ(なんかボリュームが上がったな・・・下駄の音まで・・・って、本物!?)
反射的に逃げ出すサキ。
サキ「冗談じゃない!こんな顔・・・見られてたまるか!」
轟 「お、おい!なんで逃げるんだよ!」
サキ(来ないでよ!今優しくされたりしたら期待しちゃうじゃない!諦められなくなっちゃうじゃない!)
だが、ほどなくして轟に腕を掴まれる。
轟 「はー、はー、な、なんで逃げ・・・お前泣いてるのか?」
サキ「な、泣いてなんかいないよ!」
轟 「やっぱりどこか痛むのか?」
サキは心の中で豪快にズッコケながら悪態を突く。
サキ(バカバカバカ!子供じゃあるまいし体の痛みで泣くもんかい!痛いのは・・・心だよ。)
サキ「大丈夫だって言っただろ?そ、それよりわざわざ追いかけて来て何の用さ?」
轟 「い、いや、操の奴がさ、追いかけろ、今追いかけなきゃ二度と会えないとか言うもんだから・・・」
サキ(うっ・・・鋭い。さすが女同士。でもこいつは・・・)
サキ「で、あんたは?あんたの意思は?」
轟 「すまん、正直操が怖かっただけだ。」
サキ「あー!もうなんなのよ!もういいから一人にしてよ!なんだってこんなの好きになっちゃった・・・」
そう言いかけた所で慌てて言葉を飲むサキ。
轟 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
サキ「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
長い沈黙。
轟 「・・・・・今・・・・・」
サキ「わーっ!わーっ!」
轟 「いや、だから・・・」
サキ「なんでもないなんでもない!何も言ってないから!」
轟 「そうか・・・じゃあ、」
轟はそう言いながらサキに背中を向け、
轟 「ここから先は独り言だ。聞いてもいいし帰ってもいい。自由にしてくれ。」
そう告げた。そう言われて聞かない者はいない。サキも訝しげに轟の二の句を待った。
轟 「俺には好きな女がいる。」
ズキっと痛むサキの胸。
轟 「今年の正月、綺麗な人に会ったんだ。俺は・・・一目惚れって奴か?とにかく思い出す度に胸が苦しくなるようになったんだ。」
サキ(知ってるよ・・・)
轟 「でも最近、その女はとんでもない奴だったって事が判ったんだ。」
サキ(・・・え?)
轟 「実はその女はかなりのはねっ返りで、人にいちゃもん付けちゃ喧嘩を売るようなとんでもない女だったんだ。」
びくっと反応するサキ。
轟 「その上負けず嫌いで意地っ張りでな、でも俺はそんな所が可愛いと思ってる。」
サキ「嘘・・・でしょ・・・・・」
轟はそこまで言うと振り返り、言う。
轟 「お前だったんだろ?」
あの時と同じ優しい笑顔で。そしてその手にはあのかんざしを持っていた。
サキ「!!!」
それを見たサキの目からまた涙が溢れる。
轟 「気付いてやれなくてごめんな。ほら、お前のガラスの靴だ。」
そう言いながら轟が差し出したかんざしをおずおずと受け取るサキ。
轟 「こんな時は俺が髪の毛に差してやったりするのかも知れないが、悪いが俺にはそこまでの気障は出来ない。」
サキ「もう・・・充分気障だよバカ・・・」
もう泣き顔を見られる事などどうでもよくなり、かんざしを両手で握り締めぽろぽろと泣くサキ。
轟 「そ、そうか?」
サキ「でも駄目だよ・・・二股になっちまうだろ・・・」
轟 「二股って・・・操の事か?」
サキ「他に誰がいるんだよ!」
轟 「やっぱり勘違いされてたか・・・別にあいつとは付き合っちゃいないって。」
サキ「嘘・・・信じないよ。」
轟 「いや、事実なんだって・・・しょうがないな。これは秘密なんだが・・・」
サキ「?」
轟 「実はあいつは裏番なんだよ。」
サキ「・・・・・・・・・・・・・はぁ?」
轟 「これで納得できるか?(まあ、番長の俺の頭が上がらない相手だから間違っちゃいないよな。)」
サキ「いやだって、いつも弁当作ってもらったりとか・・・」
轟 「あれは自分の彼氏用のついで。と言うか毒見役だな。」
サキ「じゃあ、いつも一緒にいるのは・・・」
轟 「マネージャーみたいなもんか?さもなきゃ生徒会長と副会長みたいなもんか。」
サキ「そ、それじゃあアタイは・・・」
轟 「よく解らないが、多分一人相撲でも取ってたんじゃないか?」
みるみる赤くなるサキの顔。そして、
サキ「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
と、ドップラー効果を発生させる勢いで走り去った。本気の逃げ。
轟は一人唖然と見送るしかなかった。

1ヵ月後。4月某日。湖畔。

マチコ「それでそれからどうしたの?」
チャッピー「ワタシモシリタイデース。」
舎弟「まあまあ、慌てずに。操さん、続きどうぞっス。」
操 「それがですね、サキさんそれから恥ずかしさの余りか家に引き篭もっちゃったんです。」
マチコ「な、なんで引き篭もり!?」
操 「これは私の想像ですけど、多分告白されたことを反芻して きゃー♪ とか悶えたり、
   恥ずかしさで鬱になったりの繰り返しだったと思いますよ。」
マチコ「青春ねえ。で?」
操 「そしたら今度は逆に轟君がアタック開始しまして。毎日通ったらしいですよ。サキさん家に。」
マチコ「あの轟君が?意外ねえ・・・」
操 「鈍感だけど、気持ちが伝われば全力で応える男ですからね。それで一週間目にようやく会えたらしくて・・・」
マチコ「それから?」
操 「それからは・・・あっ」
その時、操が何かを目に止める。
操 「先生、ほら、あれ。」
マチコとチャッピー、それに舎弟が操の視線を追う。
マチコ「まあ♪」
チャッピー「アリエナーイ。」
舎弟「妬けるっスね。」
そして、目を細めてマチコが言う。
マチコ「ふふっ、お節介の甲斐はあった・・・かな?」

春の柔らかい日差しの中、桜を映す湖面に浮かぶ一艘のボート。その上にサキの膝枕で昼寝する轟の姿が見えた。


おわり






番外編

第1話〜第3話 三人娘のお茶会

5月某日、某カフェテリア。
テラスのテーブル席に女性が三人、高校生らしきが二人、成人女性が一人。
操、サキ、それにマチコの三人だった。
その後この三人は、よくこうやって三人でお茶をするようになっていた。

マチコ「・・・で、いまだによく分からないんだけど、操ちゃんって、どうして
    彼と付き合うようになったのかしら?」
サキ「アタイもちょっと興味あるね。」
操 「えー、馴れ初めですかー?そんなー恥ずかしいー。」
まるっきり棒読みで言う操。
サキ「あ、そう。じゃいいや。で、先生・・・」
操 「訊いて頂戴。」
サキ「・・・実は言いたくてしょうがなかったんじゃないか・・・」
操 「あのですね・・・」

番外第1話 雪と約束

1月某日。
チャッピー「ミサオサーン、オネガイシマス。ワタシトツキアッテクダサーイ。」
操 「・・・チャッピーさん、何度も言ってますけど、私、
   今誰とも付き合う気は無いですから。ごめんなさい。」
いきなりの玉砕シーンかと言うと、実はそうでもない。先日の温泉旅行以来、
チャッピーは毎日のように放課後になると操に会いに行き、何度も交際の申し込みを
しているのだ。今回でかれこれ7回を数える。
チャッピー「ワカリマシター。デモワタシアキラメマセーン。」
下手をすればストーカーだが、操が断れば必ずその場は引き下がるので
操自身もそんなに負担には思わずにいた。だが・・・
 

同日、湖畔ボート乗り場。ボートの上の轟に、操は乗り場にしゃがみ込んで話し掛けている。
操 「轟君、どう思う?あの根気。」
操はこの事を轟だけには明かし、相談していた。
轟 「どうって・・・まあ、見上げたもんだよな。普通だったらごめんなさいの一言で再起不能になりそうなもんだが。」
操 「そういう事じゃなくて!付き合う気は無いって言ってるのに諦めてくれないっていうのは、私の態度に問題があって、
   まだなんか期待させちゃってるのかな、って思うのよ。」
轟 「いや、単に諦めが悪いだけだと思うぞ。」
操 「それならいいけど、なんか可哀想になってきちゃって・・・」
轟 「・・・なんで?」
操 「例えて言うとね、よくコンビニなんかに通う猫がいるじゃない。」
轟 「はあ?何の例えだ?」
操 「いいから。で、あのコたちってコンビニのお客さんが餌をくれる事を期待して通ってるのよね。
   でも餌をくれる人ばかりじゃない訳で・・・」
轟 「お前は餌をあげない人間、って事か。」
操 「そう。で、なんかそんな猫を見てるみたいで・・・」
轟 「でもあいつ、お前の言う事を聞かない訳じゃないんだろ?」
操 「え?・・・うん。」
轟 「だったら、付き合う気は無い、だけじゃなくて、もっと厳しい事言えばいいんじゃないか?」
操 「厳しいって・・・」
轟 「いっその事、もう私の前に現れないで下さい、ぐらいの事言ってみたらどうだ?」
操 「それは・・・やっぱり可哀想だよ・・・」
轟 「なら、今のままだろうな。やっこさんは、付き合う気が無いなら付き合う気にさせよう、って考えなんだろうからな。」
操 「そうか・・・」
轟 「まあ、俺が言えるのはこれぐらいだな。」
操 「あ、なんか偉そう。なによ。自分の事はどうなのよ。」
轟 「俺の事?」
操 「金髪の晴れ着の人!」
轟 「ぐあ!お、お前・・・ようやく最近になって癒えてきたってのに・・・」
 

そう、操も轟の一目惚れの件を知っていた。轟は別に隠す事無くこの件について操に話していたからだ。
しかし操は金髪の晴れ着の女性はサキである事を知っている。操は轟が女性の正体に気付いていない事に呆れながら、
その事は轟に教えてはいなかった。サキが知らせようとしていないなら自分が立ち入る問題ではない、と判断したからだが、
日頃からそれをじれったく感じていて、時々このように叱咤しているのだ。

操 「ほんとに、轟君はむしろチャッピーさんを見習った方がいいんじゃない?」
轟 「だからどこにいるのかも名前も知らないのにどうするんだよ?」
操 「一度でも探そうとした?」
轟 「ぐっ・・・」
操 「ほらごらんなさい。本気なんだったら行動しなさいっての。」
轟 「今は俺の事はいい!」
操 「はいはい。じゃアドバイス、感謝しとくわね。」
轟 「たく・・・おい。」
操 「何?」
轟 「さっきから言おうかどうか迷ってたんだが・・・」
操 「だからなによ?」
轟 「見えてるぞ。白いの。」
操 「あ・・・スケベ。」
操はぱっと立ち上がる。
轟 「バカ言え。今更お前のパンツなんか見たって嬉しくもなんとも無い。」
操 「まあ確かに私も轟君相手ならあんまり恥ずかしくはないかな。」
まあ、幼馴染ゆえの男女を意識しない関係であろうか。
轟 「お節介だが他では気を付けろよ。だらしない女だと思われるぞ。」
操 「残念でした。気が緩むのは轟君相手の時だけですー。」
轟 「そうか・・・それはそれで男として悲しいような・・・」
操 「それはお互い様でしょ。じゃ、私行くね。」
轟 「おう。」
操は振り返り、その場を後にした。

翌日。放課後。
やはり学校帰りの操の前にチャッピーが現れた。
チャッピー「ミサオサーン、ワタシト・・・」
操 「あ、チャッピーさん。ちょっとお話いいですか?」
チャッピー「オハナシデスカ!モチロンイイトモデス!」
サングラス越しに嬉しそうな目が見え、操は少し心が痛んだ。
操 「あ、あのですね・・・その・・・」
チャッピー「ハイ。」
操 「ちょっと言いにくい事なんですが・・・」
チャッピー「ナンデショー。」
操 「私はチャッピーさんと付き合う気はありません。
   ・・・だからもう私に会いに来ないで下さい。」
はっきりと曇るチャッピーの顔。操の胸はまた痛んだ。
チャッピー「・・・ソウデスカ。ワカリマシタ・・・」
操 「ごめんなさい。(ほんとに、足元に擦り寄ってくる猫を追い払う気分・・・)」
チャッピー「ミサオサンガアヤマルコトナイデース。デモ・・・」
操 「でも?」
チャッピー「モウアイニキタリシマセンカラ、ヒトツダケオネガイイイデショーカ?」
操 「・・・お願い?」
チャッピー「ハイ。イチドダケデイイデス。デートシテホシイデス。」
操 「で、デート?」
操 (まあ、それで終わりになるなら・・・)
操 「わかりました。でも本当に一度だけですよ。」
少しの逡巡の後、操はそう答えた。
チャッピー「ホントーデスカ!アリガトウゴザイマス!」
飛び上がって喜ぶチャッピー。
チャッピー「ソレジャデスネ、コンドノニチヨウニ、エート、ゴゴ1ジニ
      コウエンデマチアワセシマショウ。」
操 「公園?公園って言っても沢山あるし・・・」
チャッピー「ステキナトコロガアッタンデスケド、カンジ、ムズカシイジデヨメマセンデシタ。」
操 「うーん、なんか目印とかありませんでした?」
チャッピー「Land Markデスカ・・・ゲートノショウメンニビヨウインガアリマシタネ・・・」
操 「あ、それなら一つしかないですね。ひょうたん池公園です。」
その美容院は操がよく使っている美容院であったので、彼女にはすぐ思い当たった。
チャッピー「ヒョータン、デスカ。」
操 「そう、瓢箪。確かに外人さんには難しい字ですよね。」
チャッピー「ソレデハ、ニチヨウビ、ヒョータンイケコウエンノゲートデオマチシテマース。」
操 「はい。」
そして帰っていくチャッピー。スキップを交えながら歩く後姿に操の心はまたも痛むのだった。

そして日曜。待ちあわせ場所に向かうべく家を出るチャッピー。
チャッピー「It's Snowy・・・」
呟き見上げた空からは、ちらほらと白い物が舞い落ち始めていた。

そして午後一時。操は既に公園に着いていた。赤い大きな傘を差してチャッピーを待っている。

操 「なによ。こういう場合、先に来てるのが男なんじゃないの?しょうがないわね。」

15分経過
操 「ちょっと、誘っといて遅刻?何考えてるのよ!」

30分経過
操 「いくらなんでも遅すぎない?雪も本降りになってきたじゃない・・・」

1時間経過
操 「まさかとは思うけど、振られた腹いせにすっぽかしたとか?でもそんな風じゃなかったし・・・
   もう、携帯番号訊いとけばよかった・・・」

2時間経過
操 「・・・・・・・・・・バカみたい。帰ろう。」

午後3時半、青山邸。ブツブツ言いながら操が帰宅してきた。
母親「あら、早かったじゃない。帰りは夕方ぐらいになるんじゃなかったの?」
操 「早いんじゃなくて遅かったのよ!」
意味が分からず呆気に取られる母親を尻目に操は自室へ向かった。

午後5時、操の部屋。
操 「くしゅん!・・・もう、雪が降ってる中に2時間もいたから風邪引いちゃったかも・・・」
操は薬を飲んでおこうと思い、居間へ向かった。
操 「おかーさーん、風邪薬あるー?」
母親「なによ、風邪?ちょっと待ってなさい・・・」
やがて母親が薬とコップの水を持ってきた。
操 「あ、ありがと。」
操はそれを受け取り、薬を飲んだ。
母親「大丈夫?ひどかったら病院行っといた方がいいんじゃない?」
操 「大丈夫よ。さっきちょっとくしゃみが出ただけだから。薬は念の為。それに今日は日曜じゃない。病院は休診でしょ。」
母親「公園前の総合病院なら日曜でもやってるわよ。」
操 「・・・・・公園前の・・・・・・・総合病院?」
母親「?」
操 「こうえんまえのそうごうびょういん・・・コウエンマエノソウゴウビヨウイン・・・・
   あーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
母親「わっ、ど、どうしたのよ?」
操 「まさかとは思うけど・・・!」
操は自室に戻りコートに袖を通すと外へ飛び出した。表は既に数センチ積雪していた。
操 「お願いだから、思い過ごしであって・・・そうでなくてももう帰ってて!」

やがて操は総合病院の前の公園に着いた。既に時刻は午後6時過ぎ。
果たして門の前には白ランを着た大男が傘も差さずに立っていた。
操 「嘘・・・でしょ。」
操は走り寄りながら叫ぶ。
操 「チャッピーさん!」
チャッピーはゆっくり操の方を見ると、
チャッピー「・・・ミサオサーン、ヨクキテクレマシター。」
にっこりと笑顔を浮かべてそう言った。
操 「ごめんなさい!ごめんなさい!私、病院じゃなくて美容院だと思って・・・っていうか、あれは病院!
   ちっちゃい”よ”!びょ・う・い・ん!びよういんじゃないの!」
チャッピー「ゴメンナサーイ。」
操 「違う、謝るのは私!本当にごめんなさい!ああ、もう雪が積もってるじゃないの・・・」
操はチャッピーに積もった雪を手で払う。と、その体が冷え切っているのに気づく。
操 「ちょっと・・・これ、どこかで暖まらないと・・・どこか、なんかのお店・・・」
そう言って操が辺りを見回すと、

ど さ っ

何かが落ちるような音が背後から聞こえた。操が音の方を振り向くと、
積もった雪の上に倒れたチャッピーが目に飛び込んできた。
操 「いやああああああああああああああああああ!チャッピーさん!そ、そうだ、救急車!」
・・・ここは病院の前である。操はそれにすら気づく事が出来ずに携帯を取り出し、ボタンを4つ押す。
トゥルルルルルルル・・・・カチャ
交換手「はい、こちら○○警察。」
1・1・0・発信、だったようだ。
操 「なんで警察なのよ!もういいわ警察でも!えーとここは・・・」
操は電柱の住居表示を見て住所を確認した。
操 「人が倒れちゃったの!○○町の○-○ー○まで救急車!大至急!」
交換手「あの、それは消防の方へ・・・それにその住所だとすぐ近くに病院があると思うんですが。」
操 「私にこの大男を一人で運べって言うの!?ならあなた、病院に電話して職員の人呼んでよ!」
大男などという事が交換手に分かろうはずも無い。パニックに陥った操は無敵だった。
操 「いいから早くしてよ!チャッピーさんが死んじゃう!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

幸いその交換手は人が良く、更に操の剣幕にただ事ではない雰囲気を感じたのか自分の携帯で
病院に連絡を入れてくれた。そして駆け付けた病院職員の手でチャッピーは病院に搬入された。

診察の結果、低体温症になり掛けてはいたが命に別状は無く、操は胸を撫で下ろした。
そして病室のベッドに横になるチャッピーに、操は泣きながら何度も何度も謝っていた。
操 「ごめんなさい!私のせいでこんな事に・・・本当に本当にごめんなさいいいい〜」
チャッピー「ワタシハダイジョウブデスカラ・・・ナカナイデ、ミサオサン・・・」
病人であるチャッピーになだめられ、しばらくの後にようやく落ち着いた操は、チャッピーの両親に連絡を取るという
基本的な事を忘れていたのに気づく。しかし、電話を掛けても相手は外人。言葉が通じず、結局チャッピー本人に
携帯で事情を説明してもらう事になった。駆け付けた両親相手に操は片言の英語で侘びを言い、両親はこれまた
片言の日本語で礼を言い、そんな事を30分ほど続けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

操 「それじゃ帰ります。今日は本当にごめんなさい。」
チャッピー「イインデス。ミサオサンキテクレタダケデウレシカッタデース。」
操 「そんな、また泣いちゃいそうな事言わないで下さい。」
チャッピー「oh,ゴメンナサーイ。ヘイ、ミサオサン、スマイルスマイル。」
操 「・・・うん・・・明日はもう退院出来るんですよね。迎えに来ますから。」
チャッピー「ウレシイデスケド、モウ、1カイダケノヤクソクオワッテマス・・・」
操 「あんなのノーコンテストに決まってるじゃないですか!・・・もう一度やり直しです。」
チャッピー「ホントーデスカ!・・・ゴホゴホゴホッ」
操 「本当よ。だから早く良くなって下さいね。」
チャッピー「ワカリマシター。」
操 「それじゃ・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

場面は元に戻ってカフェテリアのテラス席。
マチコ「それが決め手だった訳なのね。」
サキ「なんつーか・・・壮絶と言うか・・・」
操 「本当に、付き合ってみると誠実だし、優しいし、可愛い所あるし、すごく素敵な人だったんですよ〜。
   それに言葉遣いは丁寧だし、紳士って感じ?」
それは教科書通りの日本語しか話せないだけだ、とマチコもサキも心の中で突っ込んだ。
その時、操の携帯が鳴った。メールのようである。
操 「あ・・・彼からですぅ☆」
サキ「はいはい。」
マチコ「じゃあ次はサキちゃんのノロケ話を聞こうかな?」
サキ「あ、アタイにはそんなもん・・・無いですよ。」
マチコ「無い訳ないでしょ。ゆっくり聞き出してあげるわよ。」
サキ「ちょ、ちょっとそういうのは勘弁・・・」
操 「私も聞きたいなあ。あの轟君がどんな女性の扱い方してるのか、すごく興味あるし。」
サキ「いや、だから・・・きっと普通。」
操 「普通って・・・その普通が知りたいのよ。私なんか女扱いされてないんだから。」
マチコ「そうねえ・・・じゃ操ちゃんと同じように、好きになった切っ掛けならどう?」
操 「あ、それ賛成!」
サキ「切っ掛け・・・か。それなら・・・でも、ちょっとこの話は・・・」
操 「あー、なんかもったいぶってる。」
サキ「そんなんじゃないよ。ただ、ちょっと辛い出来事だったからね・・・」
マチコ「辛い?」
サキ「はい・・・いいや、話しますよ。その代わり覚悟はしといて下さいね。」
そしてサキはゆっくりと語り出した。

番外第2話 少女と花束

11月某日。
サキは買い物の用があり商店街まで来ていた。
何の気なしにアーケードを歩いていたが、視界の隅に信じられない程の違和感を感じ足を止める。
サキ(え?なに、この異様な違和感は。)
サキは違和感の正体を突き止めるべく辺りを見回す。すると、それはあっさりと見つかった。
花屋の店先で、学帽を被り、長ラン、ボンタン、下駄履きの男が花を選んでいたのだ。
恐ろしいほど花屋に似合わないその男は轟だった。
サキ(あ、あいつが花!?・・・ひょっとして彼女にとか・・・おもしろい。彼女ならどんな娘か見てやれ。)
野次馬根性と言うか、覗き趣味と言うか、どちらにせよ趣味のいいとは言えない気持ちが湧き上がってきたサキは、
しばらく様子を見てみる事にした。
やがて花束を持った轟が店から出て来た。サキはそっと後をつける。
サキ(花買ったって事は、渡す相手に会いに行くって事よね・・・後日、なんて事は花が枯れちゃうから無いはずだし。
   それにしてもどこまで行くのよ・・・)

歩く事数十分。やがて轟は目的地に着いた。そこは・・・
サキ(病院?って事はお見舞いか・・・なーんだつまんない。時間の無駄だった・・・帰ろ帰ろ。)
しかしサキはそう言いつつも、何故か轟が見舞う相手の事が気になった。
サキ(ちょっとだけ・・・ちょっと覗くだけ。)

サキは自分にそう言い訳すると、再び轟の後を追った。

病院ロビー。轟より少し遅れて入ったサキは、いきなり轟の姿を見失った。
サキ「ありゃ、どっかいっちゃった・・・まあしょうがないか。帰ろ。」
彼女がそう言いながら振り返ると、
サキ「うわぁ!」
後ろに轟がいた。
轟 「下手な尾行だったな。バレバレだったぞ。」
サキ「う・・・」
轟 「なんで尾けたりした?」
サキ「・・・あ、あんたが似合わない物持って歩いてるから気になっただけだよ。」
轟 「あ・・・失礼な事を言う。まあ、似合わないってのは認めるが。」
サキ「まあ、ばれちまったものはしょうがない。アタイは帰るよ。」
轟 「まあ待て。」
サキ「?」
帰ろうとしたサキを轟が呼び止める。
轟 「折角ここまで来たんだ。見舞いに付き合って行け。」
サキ「は?」
轟 「相手は入院生活で退屈している。客の人数は多い方が喜ぶ。」
サキ「え、おいちょっと・・・」
轟 「こっちだ。」
サキが戸惑うのを無視して轟は歩き出す。
サキ「なんかアタイバカみたい・・・」
そう呟きながらも、サキは轟の後を追った。

503号室  田村真紀
出入り口のプレートにはそう書いてあった。
サキ(あ、結局女じゃないの。しかし個室か・・・金持ちなのかな?)
しかしその邪推は病室に入ると同時に打ち消された。
ベッドに横たわっていたのは、呼吸器を付けた、年の頃は10歳かそこらだろう、小学校高学年ぐらいの少女だった。
しかもベッドの周りには透明なビニールのカーテン。知識が無くとも深刻な状態であろう事は容易に想像がつく。
少女は病室に入ってきた轟を見つけると、
真紀「あ、轟君!いらっしゃい!」
と、呼吸器越しに思ったよりも元気な声を発した。
真紀「あれ?今日はお友達といっしょ?」
サキの姿を見つけた真紀が訊ねる。
轟 「ああ。そこで偶然会ってな。一緒に来てもらった。」
真紀「真紀です。よろしくお姉さん。お姉さんは?」
サキ「え?・・・ああ、名前かい。サキってんだ。」
真紀「サキさんか・・・なんか喋り方がかっこいい。」
今まで姉御言葉で喋る女性を見たことが無いのだろうが、こんな事を褒められたサキは妙な気分だった。
轟 「それじゃ花を生けて来る。」
轟は花瓶を片手に給湯室へ向かった。取り残された格好のサキが何を話せばいいか解らず、突っ立っている所へ
少女が話し掛けて来た。
真紀「サキさんって轟君のコレ?」
と、真紀は小指を立ててませた事を言う。
サキ「たく・・・近頃の子供ってのは・・・そんなんじゃないよ。むしろ敵・・・」
サキはそう言いかけたが、そんな事をこの子に言ってどうする、と思い言葉を飲む。
サキ「いや、ただの知り合いさ。学校違うしね。ひょんな事で知り合って、それからたまに会うぐらいさ。」
真紀「ふーん・・・私はね、轟君ちのお隣さんなんだ。」
サキ「そうなのかい?」
真紀「うん。轟君には入院するまではよく遊んでもらったんだよ。」
サキ「あいつと?あんたが?第三者が見たら、下手すると犯罪者だよそれ・・・」
真紀「あはは。でもね、優しいんだよ轟君。今でも紙相撲とかで遊んでくれるし。」
紙相撲と聞いてぴくっと反応するサキ。見れば枕元に土俵がある。
サキ「真紀・・・ちゃん。アタイと勝負してみないかい?これで。」
サキなりにこの子を楽しませようと考えての言葉だった。
真紀「え?ほんと?」
サキ「ああ、こう見えてもアタイは強いよ。轟なんかろくに勝てやしないんだから。」
真紀「すごい!やろうやろう!」
そこへ轟が帰って来た。
轟 「お、紙相撲か。どれ、俺も・・・」
サキ「お前は弱いんだから引っ込んでな。」
轟 「ぐ・・・」

真紀とサキの勝負はなかなか伯仲したものだったが、やはりサキは強く、ここ一番で真紀はどうしても負けてしまう。
真紀「あーん、やっぱりまけちゃったー。サキさん強いねー・・・はぁ。」
小さなため息。しかし轟は聞き逃さなかった。
轟 「真紀、横になってろ。また呼吸が苦しいんだろ。」
真紀「あ、ううん、大丈夫だから。」
轟 「大丈夫じゃない。いいから横になれ。今看護婦さん連れて来るから。」
真紀「もう、病人扱いするなって言ってるのに・・・病人だけどさ。はあ・・・」
みるみる呼吸が荒くなる真紀。額に汗も浮かんできている。轟は看護婦を呼びに出て行った。
サキ「お、おい。大丈夫か?」
真紀は気丈にVサインを作るが、それは逆に言えば喋るのも辛いという事だ。
サキ「あいつ・・・早くしろよ!・・・てかナースコール使えばよかったんじゃないか!?冷静そうに見えて実は動転してたって事か。」
そう思った所へ看護婦と轟が入ってきた。
轟 「それじゃお願いします。真紀、今日はこれで帰るからな。また今度だ。」
真紀はうんうんと頷きながら、
真紀「サキさんも・・・また来てね。」
辛そうながらも、そうサキに言った。
サキ「ああ・・・また来るよ。」
そして二人は病室を後にした。

ロビーへ向かう廊下でサキは轟に訊ねてみた。
サキ「あの子・・・結構重病なんだろ?なんの病気なんだい?」
そう、深く考えずに。しかしその直後訊ねた事を後悔する事になった。
轟 「・・・・・・・・末期の・・・小児ガンだ。」
サキ「!」
轟 「さっきの発作は、抗がん剤の副作用らしい。あんな小さな子が毎日あんな苦しみと戦ってるんだ。」
サキ「そんな・・・助からないのかい?」
轟 「・・・・・」
黙って首を振る轟。
轟 「もうじきホスピスに移るらしい。」
サキ「ホスピスって・・・」
轟 「俺も詳しい事は知らないが、ガン患者が出来るだけ苦しまないように延命処置するための病室らしい・・・
   つまりは助からない患者が行く所だ。」
サキ「・・・そんな・・・そんな・・・」
轟 「だから、よければ会えるうちは、気が向いたらでいい、お前も見舞ってやってくれないか。幸い真紀も気に入ってくれたようだし。」
サキ「や、やだよ。死ぬと分ってる人相手に冷静でいる自信なんか無いよ・・・」
轟 「そうか・・・分った。無理強いはしない。」
サキ「すまない・・・」
轟 「いいさ。」
そのまま二人は無言で病院を出て、門の所で別れた。

一週間後
真紀「あーん、やっぱり強いなー。いつも最終的には私の負け越しじゃない。」
サキ「ふっふっふっ、まだまだだね。」
なんだかんだ言いつつも、あれからサキは毎日見舞いに来ていた。また来るという口約束の手前もあるが、
それよりも自分が来る事で喜んでくれるなら、と。

見舞いをするにあたっては、轟と二つ約束をしていた。一つは自分から病気についての話題を振らない事。
そしてもう一つは絶対に彼女の前で泣かない事・・・

病室に入って既に数時間。轟は時計に目をやって言う。
轟 「お、もうこんな時間じゃないか。おい、そろそろ帰るぞ。」
真紀「えー、もうー?つまんないな。」
サキ「また来るよ。続きはその時にな。」
真紀「でも・・・最近毎日来てくれてるけど、大丈夫?迷惑じゃない?」
サキ「何言ってるんだい。迷惑だったら今日だって来ちゃいないよ。」
真紀「そっか・・・よかった。」
轟 「真紀、次に来る時、何か欲しい物とかあるか?差し入れてやるぞ。」
真紀「ううん、別に無いよ。だってお見舞いに来てくれる事が最高のお土産だもん。」
轟 「そうか・・・わかった。それじゃまたな。」
真紀「うん。バイバイ!」
そして二人は病室を出た。

ロビーへの廊下で轟がぽつりと言う。
轟 「頭の下がる思いだ。」
サキ「え?」
轟 「真紀の事だ。自分は重病で命も危うい事はうすうす感付いているはずだ。なのにそんな事はおくびにも出さない
   どころかああやって人を気遣う事が出来る・・・俺だったらどうかな、と考えてしまう。」
サキ「そうだね・・・偉いよね・・・」
轟 「ああ、強い子だ。」
そう言った所で轟は急に立ち止まった。
サキ「ん?どうしたんだい?」
轟 「すまん、忘れ物だ。ちょっと取って来る。」
病室へ取って返す轟。サキもその後を追った。
そして轟は真紀の病室の前で扉を・・・ノックせずにただ立ち尽くしていた
不審に思ったサキは近付いてみる。すると、
真紀「・・・たくないよお・・・」
真紀の声が聞こえて来た。
真紀「・・・くないよお・・・死にたくないよお・・・・!」
サキ「!」
声からして、どうやら真紀は泣いている。
真紀「轟君に会えなくなるのはやだよ・・・せっかくサキさんとも仲良くなれたのに・・・
   死ぬのはやだよ・・・・!」
轟はノックし損ねた拳を硬く握り締め、震わせていた。直後、大股でロビーの方へ引き返す。
サキ(真紀ちゃん・・・)
サキもその場を後にして轟の後を追った。

轟はロビーを通り、出入り口を抜け、中庭までやって来た。そして庭木の前に立つと、
轟 「俺は!」
そう叫び、右拳で思い切り木の幹を殴った。
轟 「何も解っちゃいなかった!」
もう一発。殴る度に葉がざわざわと音を立てる。
サキ「ちょっと!何やってるんだい!」
その様子を見たサキが駆け寄る。しかし轟は止めなかった。
轟 「何が強い子だ!」
殴る。樹皮がめくれた。
轟 「真紀だって怖いんだ!」
殴る。白木に赤い物が付着する。
サキ「ちょっと・・・止めなよ!」
轟 「俺は・・・俺は!」

サキ「やめなってば!」
再び轟が拳を出した所に、サキが割って入った。
轟 「!」
拳はサキの頬に触れた所で止まった。
轟 「疾風の・・・」
サキ「ふふ、これでアンタに殴られるのは2回目だね。」
そう言いながら両手で轟の拳を包む。
サキ「アンタは悪くない!だから自分を傷つけたりするんじゃないよ!」
轟の目を見据え、サキはそう告げた。
轟 「だが俺は・・・自分が許せんのだ・・・」
サキは右手を胸元にやり、チーフを抜き取った。そしてそれを包帯代わりに轟の右手に巻く。
サキ「バカだね・・・でも、そういう所、嫌いじゃないよ。」
轟 「・・・・・・」
サキ「はい、出来た。幸いここは病院だからね。診てもらった方がいいよ。」
轟 「いや、このぐらい大丈夫だ。・・・すまない。洗って返す。」
サキ「いいよ、そんなもん。」
轟 「そういう訳にはいかんだろう・・・ともあれ、ありがとう。少し気が楽になった。」
サキ「そうかい・・・まあ、診てもらわないとしても、それ、返してきた方がいいんじゃないか?」
サキはそう言って轟の足元を示す。
轟 「え?」
轟は病院のスリッパを履いていた。この病院は土足でもいいのだが、轟は下駄履き。病院内でカラコロと下駄を鳴らす訳にも
いかないので毎回借りているのだ。
轟「い、いかん!返して来る!」
そう言って病棟へ走って行く轟。サキは目を細めてそんな轟を見送った。

数日後
今日も真紀を見舞うサキ。しかし今日は轟が所用で来られず、サキ一人での見舞いだった。
そしていつもの紙相撲がひと段落した所で真紀が唐突に切り出した。
真紀「ね?サキさん、サキさん轟君の事好きでしょ?」
サキ「だからそんな事は無いって・・・」
真紀「でも、嫌いじゃないよね?」
サキ「まあ・・・そりゃ・・・」
真紀「じゃあ、私がいなくなったら轟君の事よろしくね。」
サキ「・・・・・ちょっと!縁起でもない事言うんじゃないよ!」
真紀「いいんだ。知ってるから、私。もう助からないって。」
サキ「真紀ちゃん・・・」
真紀「だから、ね。その時が来たら轟君に伝えて欲しいんだ・・・」
サキ「・・・なんだい?言ってみな。」
涙が滲んだ目でサキが訊ねる。
真紀「あのね・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サキ「・・・わかったよ。必ず伝えるから。」
真紀「うん。サキさんがいてくれて良かった。こんな事親にも頼めないし、今直接言ったりしたら轟君も困ると思うし。」
サキ「アンタって子は・・・」
思わず泣きそうになるが、今この子の前で泣く訳にはいかない。轟との約束がある。サキはそう思ってなんとか踏みとどまった。
サキ「それじゃ、今日はこれで帰るから。またな。」
真紀「うん、またね!」
サキはドアを開け廊下へ出る。そして、口を右手で覆うとそのまま小走りで廊下の突き当りまで行き、壁に背中を預け呟いた。
サキ「酷いよ神様・・・!あの子助けてやってよ・・・!」
その頬は既に涙でぐしょ濡れになっていた。

12月某日。サキの部屋、夕刻。
真紀がホスピスに移ってから既に十数日を数えていた。
今までの病院にはホスピスの施設が無いので、真紀は別の、施設がある病院に転院という形になっていた。
しかしその病院は少々遠く、気軽に見舞いに行ける距離ではなかった。それでもサキは数回、轟と共に見舞いに行っていた。
日を空けて会う真紀は、その度に病状が進行しているのが目に見えて分かり辛かったが、
会う度に自分達に向けてくれる笑顔に報いる為に見舞いは続けていた。
そして、次はいつ会いに行こうか。そんな事を考えながら過ごす日々が続いていた。
そんなある日。

階下で家電(いえでん)が鳴っている。母親が出たらしく、すぐに呼び出し音が止まる。と思う間も無くサキを呼ぶ声が聞こえた。
母親「サキー、電話よー!轟さんって方から!」
サキ(今、あいつがアタイに電話?)
否応も無く悪い予感がする。サキは飛び降りるように階段を駆け下り受話器を取った。
サキ「もしもし!」
轟 「すまん、疾風の。番号は調べさせてもらった。」
サキ「そんな事はどうでもいいよ!真紀ちゃんの事だろ!」
轟 「ああ・・・」
サキ「・・・おい!」
轟 「今朝方・・・亡くなったそうだ・・・」
轟のものとは思えない、細くかすれた声はそう告げた。

その夜。田村邸。轟とサキは通夜に参列した。

轟 「疾風の、そこまで送っていくぞ。」
サキ「ああ・・・悪いね。」
今日ばかりはサキも素直に返す。
途中、通り道になる公園で、サキは話がある、と切り出した。そして二人は手近なベンチに腰掛けた。
轟 「疾風の、すまなかったな。見舞いに誘ったりしなきゃこんな辛い思いしないでも・・・」
サキ「今更ふざけた事言ってんじゃないよ。むしろ感謝してるぐらいさ。あんないい子に会わせてくれてさ。」
轟 「そうか・・・すまない。」
サキ「だから謝るんじゃないよ・・・それより話ってのはね、真紀ちゃんからあんたに言伝(ことづて)預かってるんだ。」
轟 「言伝?」
サキ「ああ・・・言ったまま伝えるからね。よく聞きな。」
サキは一呼吸置いてから話し始めた。


サキ「轟君、私は轟君が大好きです。大人になったら轟君のお嫁さんになりたいです。
   でもそれはもう無理みたいです。だから代わりにこの子をもらって下さい。」


そう言ってサキは胸ポケットから二つ折りにした紙を取り出した。
・・・それは真紀の紙力士だった。轟はそれを受け取って見詰めた。
轟 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・くっ。」
こみ上げてくる感情を必死で堪える轟。それはサキにも見て取れた。
サキ「・・・泣いてあげなよ。」
轟 「・・・・・」
サキ「泣いてあげなよ。あの子のためにさ。」
轟 「うっ・・・」
サキ「恥ずかしい事じゃないさ。他人(ひと)のために泣く事は。」
轟 「うっ・・・うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
轟は自分の膝に突っ伏して、大声を上げて泣き出した。
サキはそんな轟の背中に手を当ててやる。
サキ(真紀ちゃん・・・あんた男見る目あったよ。本当に。)
滲む視界に轟を収めながら、サキはそう心の中で呟いた。

翌日。河川敷。
いつものように昼寝している轟。そこへサキがやって来た。
サキ「轟!勝負しな!」
轟 「し、疾風の・・・お前、昨日の今日で・・・」
サキ「やかましい。アタイは真紀ちゃんにアンタの事をよろしく頼むって言われたんだ。」
轟 「よろしくって、それ意味が違わないか・・・?」
サキ「黙りな!受けるのかい?受けないのかい?」
轟 「・・・紙相撲、だよな。」
サキ「・・・・・・・もちろんさ!」

轟は懐の紙力士に手を当て、立ち上がった。

・・・・・・・・・・・・・・

場面は再びカフェテリア。
サキ「多分それからかな・・・意外な一面を見たって言うか・・・ってちょっと。」
操はぼろぼろと涙を流し泣いていた。一方のマチコもハンカチで目頭を押さえている。
操 「それあんまりよ・・・可哀想過ぎる・・・」
サキ「ふう、だからあまり人には言いたくなかったんだよ・・・」
マチコ「でも、その真紀ちゃん?との約束は果たせたわね。」
サキ「約束?言伝の事ですか?」
マチコ「ううん、轟君の事をよろしく、って約束。」
サキ「あ、・・・そうですね。でもなんかあの子から轟を取っちゃったような気もするんです。」
操 「そんな事無い!」
サキ「え?」
操 「サキさんは真紀ちゃんの分まで轟君に甘えなきゃいけないんです!」
サキ「そうなのかな・・・」
操 「それとも真紀ちゃんはそんな事でサキさんを恨んだりするような子だったんですか!?」
操はおもいっきり真紀に感情移入して熱くなっていた。
サキ「それは・・・絶対に無いよ。・・・確かにそうだね。ありがとう。それより・・・いい加減泣きやみなよ。周りの視線が痛いよ。」
操 「だって・・・だって・・・」
マチコ「真紀ちゃんの分も幸せにならなきゃね・・・」
サキ「・・・はい。」
そして、やっとある程度落ち着いた操が、今度はマチコに話を振る。
操 「さ、今度は先生の番ですよ。」
マチコ「私?私は・・・特に話す事は無いかしらね。」
サキ「男ッ気が無いとか・・・って訳じゃなさそうですね。」
マチコに睨まれたサキは慌てて訂正する。
マチコ「話す事は無いけど、見せる物ならあるって事よ。さっきから見せてるんだけどな、気が付かない?」
そう言いながらマチコは左手を顔の横に持ってくる。
サキ「あっ・・・」
操 「それって・・・」
その薬指にはシンプルな銀のリングが輝いていた。
マチコ「この度私、めでたく婚約致しました。」
操 「本当!うわー、先生!相手は?」
サキ「ほら、やっぱり話す事あるじゃないですか。」
マチコ「うふふふ・・・」

操 「マチコ先生〜、どんな人なんですか?」
マチコ「そうね、あなた達もよく知ってる人よ。」
サキ「え?アタイも?」
マチコ「ええ。」
操 「もう、私たちが知ってる人なら尚更、意地悪しないで教えてくださいよ〜。」
マチコ「・・・伊集院先生。」
マチコはちょっとはにかみながらぽつりと告げた。
二人「・・・・・・・・・・ええ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?」
操とサキの声が綺麗にハモった。
マチコ「予想通りのリアクションありがとう。」
操 「あ、あ、ごめんなさい。・・・でもやっぱり意外過ぎて・・・」
マチコ「その点はあまり操ちゃんには言われたくないわねえ。」
サキ 「ははっ、確かに。」
操 「ぶー。」
マチコ「じゃあ、悪食同士のよしみで話しましょうか、操ちゃん?」
操 「悪食じゃないもん!」
そしてマチコは語り出した。

番外第3話 夕日と鉄橋

1月某日。夕暮れの、川に架かる国道の鉄橋の上、夕日の中に一組の男女の影があった。
薫 「・・・結婚して下さい。」


数時間前、轟高校職員室。放課後になった職員室で一人ブツブツ言う薫がいた。
温泉旅行でしくじって以来、薫は何度もプロポーズの機会を伺っていが、中々二人になれる機が訪れなかった。
逆にチャンス到来と思えば必ず何かしらの邪魔が入り、プロポーズするには至らない、そんな日々が続いていた。


薫 「これは、やはり自分で口実を作るしかないか・・・マチコ先生と二人きりになる口実となると・・・やっぱり怪我か病気、か・・・」
そう呟きながらカッターナイフをぼーっと眺める薫。
薫 「いやいや、痛そうだしそれは止めよう・・・目的は二人きりになる事なんだから仮病で充分だろう。うむ!」
普通に会いに行けばいいものを、無駄な策を弄する薫。そこへドアを開けて女生徒が入ってきた。操である。
操は薫を見つけると歩み寄って声を掛けた。
操 「薫先生、ちょっといいですか?」
薫 「だめだ。」
操 「は?」
薫 「私はこれから体調不良で保健室へ行く。用ならまた今度にしてくれ。」
そう言い残し、確かな足取りで職員室を出て行く薫。その背中を見送る操は、
操 「何よ、元気そうじゃない・・・」
ぼそっとそう言った。

保健室
マチコ「具合が悪いんですか?」
薫 「ええ・・・ちょっと。」
マチコ「珍しいですね。健康の塊みたいな先生が・・・それじゃあ、症状を具体的に仰って下さいな。」
薫 「・・・」
薫は何も考えていなかった。
マチコ「どうしました?」
薫 「えーと・・・(待てよ、この状況になれば仮病なんか要らないんじゃないか?)」
マチコ「あの?」
薫 「先・・・生!」
マチコ「はい?」
これは温泉旅行の時のバーと同じシチュエーションである。ふと薫は嫌な予感がした。
薫 「ちょっと失礼。」
そう言うと薫は出入り口まで行き、ドアを開け廊下に顔を出し、左右を確認する。
薫 「右よし!左よし!行くぞおおおおおお!」
そして薫は不思議そうな顔をしているマチコの所に戻り、
薫 「マ、マ、マチコ先生!自分と!」
そう言い掛けた時だった。
轟 「せんせーい、怪我人でーす。」
いつもの台詞でグラウンド側の出入り口から体育着の轟が入って来た。グラウンド側からという事は、
どうやらドッジボール勝負をしていたしい。
サキ「だから大したこっちゃないって言ってるだろ!」
怪我人はサキだった。見れば膝を擦り剥いている。
マチコ「あらら、大丈夫?でもちょっと待っててね、今・・・あら?」
振り返るとそこでは薫がブリッジをしていた。
マチコ「あのー・・・」
サキ「?」
薫は腕を組んだまま、腹筋の力だけで元の姿勢に戻ると、
薫 「いえ、自分はもう治ったようです。彼女の手当てしてやって下さい。」
諦めたような笑顔でそう言った。
マチコ「はあ・・・」
薫はそのまま廊下へ・・・出掛けた所で振り返り、言う。
薫 「轟・・・」
轟 「なんすか?」
薫 「特訓開始いいいいいいい!」
轟 「勝ったのになんでー!?」


一時間後、河川敷土手
またしてもプロポーズ出来ずに、とぼとぼと失意の家路を歩く薫。
薫 「全く、轟のあほうが!何故後五分待てない!・・・いや、人のせいにしてはいかんな。」
とは言うものの、腹いせの特訓で薫はきっちり16tを降らせていた。
薫 「しかし、なんでこうも間が悪いんだ・・・ひょっとしたらずっとこの調子で、プロポーズなんかできないんじゃ・・・」
そう呟いた時、土手下の道路からクラクションが短く二回鳴らされた。
薫がなんだよ、と思い音の方向を見ると、路肩に停めた車に寄り掛かってこちらを見ている女性・・・マチコがそこにいた。
薫 「マ、マチコ先生!?」
マチコは薫に向かって微笑み、軽く手を振った。薫は土手を転がるように、いや文字通り転がりながら駆け下りた。
マチコ「きゃ・・・大丈夫ですか?」
自分の足元まで転がってきた薫にマチコが問いかける。
薫 「勿論大丈夫です!・・・それよりマチコ先生?私に何か?」
薫はしゃきっと立ち上がって訊く。
マチコ「・・・何か言いたい事がおありでしたのよね?」
薫 「・・・先生には敵いません。お見通しでしたか。」
お見通しも何も無い。普通なら気付く。
マチコ「少し歩きましょうか。」
マチコはそう言うと土手を登る道を歩き始めた。

特に言葉も無く河川敷の土手を歩く事しばし、国道に行き当たった。二人は何となく鉄橋を渡る。
橋の中程まで来た所でマチコは立ち止まり、手すりに体を預け川を臨む。


マチコ「私、この仕事選んでよかった。」
薫 「は?」
マチコ「違うわね。この仕事って言うんじゃなくて、轟高校に赴任できて良かったって言うべきね。」
薫 「と、言いますと・・・」
マチコ「生徒はみんないい子だし、職員の皆さんもいい方ばっかり・・・
    そんな人たちに頼られる存在って、なかなか無いです。」
薫 「そうですか・・・」
マチコ「伊集院先生にも会えましたし。」
マチコは薫の顔を見ずに言う。
薫 「マチコ先生・・・」
夕日に照らされたマチコの横顔。その横顔を見た薫の口が言葉を発する。


薫 「・・・結婚して下さい。」

あれほど口にするのに緊張していた言葉が意外なほど簡単に出た。
そして少しの、だが薫にとっては永遠とも思えた沈黙の後、マチコは答えた。
マチコ「やっと、言ってくれましたね・・・」
薫 「そ、それじゃ!」
マチコ「でも、ひとつだけ言葉を忘れてませんか?」
薫 「え・・・言葉、ですか?」
マチコ「ええ・・・」
ピンと来ない、という顔をしている薫に焦れたマチコは告げる。
マチコ「それじゃヒント。あ、で始まる言葉です。」
薫の表情が変わった。さすがに理解したようだ。だが、
薫 「あ・・・あ、あ・・・したは晴れるかな?」
マチコ「は?」

口に出せない薫。
薫 「いや、もといもとい、あ・・・あ、あ、あ・・・・」
マチコ「・・・そんなに言いたくないならもういいです!」
薫の態度にへそを曲げたマチコはそう言い捨て、つかつかと来た道を引き返す。
・・・いや、へそを曲げた振りをしただけだった。薫の煮え切らない態度にちょっと意地悪してやろうと思ったのだ。
薫 「あ、マチコ先生!」
薫は追い掛ける。可笑しそうに微笑みながらぺろっと舌を出すマチコ。
だがマチコは薫が何を言っても歩みを止めるつもりはなかった。
その言葉が出るまでは。
しかし、車が見えた辺りで背後の気配が無くなった。
マチコ(え?諦めちゃうの・・・?)
不安がのしかかるが、行きがかり上振り向く事は出来ない。そうこうしてる内に車の所まで辿り着いてしまったマチコは、
来た方を振り返って見る。
だが薫の姿は無かった。
マチコ「もう!根性無し!」
マチコはそう言いながら車に乗り込みドアを閉め、車を発進させるでもなく、ただシートに座っていた。
その時、ポケットの携帯が鳴った。薫からだ。
マチコ「電話?」
車内から歩いて来た方を見てもやはり薫の姿は見えない。マチコは通話ボタン
を押して携帯を耳に当てた。その刹那、
薫 「切らないで下さい!」
いきなり大声で叫ばれた。薫はマチコが喋る隙を与えないかのように続ける。
薫 「男って奴は・・・照れるのです。面と向かって言うのは。」
マチコ「・・・・・」
薫 「ですから、電話で申し訳ないですが、今なら言えます。」
マチコ「・・・・・・」
薫 「愛してます。」
マチコ「・・・・・・・」
薫 「世界中の誰よりも愛しています。」
マチコ「私も・・・愛してます。世界中の誰よりも。」
その目には涙が浮かんでいた。
マチコ「幸せにしてくださいね・・・」
薫 「勿論です。ですが・・・その前にマチコ先生には明かさなければならない事があります。」
マチコ「明かさなければならない・・・事?」
薫 「後ろを見て下さい。」
マチコはルームミラーに目をやる。そこにはいつの間にやらやって来た、携帯を耳に当てた薫が映っていた。
マチコは助手席と運転席の間から後ろを見た。それを確認した薫は空いている右手を頭に伸ばし・・・ヅラを取った。
薫 「今まで隠してましたが、実は私、この通りなのです。」
マチコ「・・・えーと・・・」
薫 「結婚する相手に秘密は持ちたくありません。こんな私でよければ・・・」
マチコ「あ・・・あ、ああ、そ、そんな事を私が気にするように見えますか?」
薫 「それじゃあ・・・」
マチコ「カツラだろうとなんだろうと、伊集院先生は伊集院先生ですもの。」
薫 「いいいいいいいいいやったあああああああ!」
苦笑いするマチコ。夕日が薫の頭頂部に反射していた・・・


そして場面は再びカフェテリアへ。
サキ「だー!いい話だと思ったらなんてオチですか!」
操 「本当。お互いが見える所で携帯で話すっていうのは結構ロマンチックだったのに・・・

   それにしても、本気で気付かれてないと思ってたんですかね・・・」
マチコ「まあ、そうみたい。でも可愛いと思わない?」
二人「思いません。」
またもハモる。
マチコ「あらま。」
操 「それってあばたもえくぼ、ってやつですよ。」
マチコ「いいじゃない、幸せなんだから。」
サキ「で、式はいつなんですか?呼んでくださいよ。」
マチコ「そうね。みんな呼ぶつもりよ。6月の第3日曜なんだけど。」
操 「わあ、ジューンブライドだぁ!」


三人の談笑は止め処なく、日差しはあくまでも優しく、そんな春の日だった。


三人娘のお茶会 おわり


第零話 ナンパとミニスカート

九月某日。サキがまだ轟と出会う前の事。
サキの女子高、放課後の教室。教室にはまだ生徒が残り、雑談に花を咲かせていた。夏休み明けから間もない時期と
いう事もあってか、未だに話題は夏休み中の、いわゆる体験談。彼氏が出来た、経験した、その方面が多数を占めていた。
その話の輪の中にはサキと、それに瑠璃の姿もあった。

生徒A「それでね、彼ったらね、」
話も佳境らしい。全員が固唾を呑んで彼女の話を聞いている。
生徒A「・・・して・・・・で・・・・たの。」
一同「うわー、露骨ー!」
これはエロ小説ではないので内容については割愛するが、要するに喪失の話である。会話が盛り上がる中、一人顔を赤くして俯き、
乗り切れない様子の生徒がいる。サキだ。
瑠璃「・・・全く、サキはこの手の話になるとからっきしなんだから。」
サキの様子を見た瑠璃が言う。
サキ「う、うるさいな。そういうのは自然に任せておけばそのうち・・・」
生徒B「あ、また始まった。運命の人とか王子様とか。幻想だから、そんなのは。」
そう、サキは意外と古風な恋愛観を持っていた。
サキ「王子様とは言わないけどさ、運命の人ってのはいるよ。きっと。」
瑠璃「そんな事言ってるからいつまで経っても処女なのよ、サキは。」
サキ「いいんだよ!無理して失くしたって意味無いでしょ。」
生徒A「でも出会おうとする努力ぐらいはしたっていいんじゃない?」
確かに女子高という環境もあり、サキには男性の知り合いが極端に少なかった。
瑠璃「その通り!実は運命の人は何度も目の前を通り過ぎてるかも知れないんだから。」
サキ「知らないよそんなの・・・」
瑠璃「よし!今度の日曜、私に付き合いなさい!」
サキ「え?」
瑠璃「街に行くのよ。出会いを求めてね。」
サキ「いいってば、そんな・・・」
瑠璃「だーめ。これはもう決定事項。日曜11時に駅前で待ち合わせね。」
サキ「ちょっとちょっと・・・」
瑠璃は躊躇うサキを無視して話をまとめてしまった。

そして日曜。駅前で待つ瑠璃の許に、律儀にもサキはやって来た。
しかしその姿を見て瑠璃は絶句した。サキはいつもの制服、つまりスケバンスタイルで来たのだ
瑠璃「ちょっとアンタ!何考えてるのよ!」
それなりのおしゃれをして来た瑠璃とはどう見ても連れには見えない。
サキ「何って・・・別に何も。」
瑠璃「何もって・・・そんなカッコじゃ誰も声掛けたりしない・・・」
そこまで言って瑠璃はピンと来た。
瑠璃(ははあ・・・さてはそれが狙いか。まるっきりやる気無しって訳ね。そうはいくか!)
瑠璃「サ・キ・ちゃん。」
笑顔で語りかける瑠璃.
サキ「な、なによ気持ち悪い。」
瑠璃「ちょっといらっしゃい!」
瑠璃はサキの手を引っ張って歩き出す。
サキ「ちょ、どこ行くのよ!」
行き先は、駅からそう遠くはない瑠璃の家だった。有無を言わさず部屋に連れ込まれるサキ。
サキ「なんなのよ・・・」
瑠璃「いいから、そこで待ってなさい!えーと、これとこれと・・・そうね、こんな感じでいいかしら。」
瑠璃はクローゼットから自分の服を何点か取り出し、床に座り込むサキの前に放り出した。
瑠璃「さ、貸してあげるからこれに着替えて。」
サキ「えー・・・」
瑠璃「文句言わずに着る!それからメイクも落としなよ。そのルージュとシャドウじゃきつすぎるから。」
サキ「もう・・・わかったよ・・・」
ブツブツ言いながら着替えるサキ。瑠璃によるコーディネートは、ピンクのタンクトップに
デニムのミニスカートだった。普通にカジュアルな格好の瑠璃に比べて明らかに露出度が高い。
男に対する撒き餌にしようという瑠璃の狙いだ。それはサキのやる気の無さに対する
ささやかな報復だった。
瑠璃「・・・って、アンタノーブラじゃない!さすがにそれはサービス良過ぎるわね・・・ほらこれ。」
瑠璃はそう言って、タンスから取り出したストラップレスのブラをサキに渡す。
瑠璃の勢いの前に抵抗を諦め、もうなすがままのサキ。
サキ「ねえ。」
ブラを着けながらサキが声を掛ける。
瑠璃「何よ。」
サキ「・・・きついんだけど、これ。」
瑠璃「・・・・・・・・・・・・・うるさいよ。」

そして二人は繁華街までやって来た。瑠璃の思惑通り、サキに釣られた男が次々と声を掛けてくる。
しかし、
瑠璃「パース。」
瑠璃「ハズレー。」
瑠璃「舐めるな。」
瑠璃「おとといおいで!」
釣れるのは外道ばかり。
サキ「ねえ、もういいよ。暑いしもう帰ろう?」
瑠璃「何言ってるのよ!ここまで来て手ぶらで帰れるもんですか!」
瑠璃は妙な使命感に燃えていた。するとそこへ大学生風の二人組みが声を掛けてきた。
男 「こんにちは。」
瑠璃(フィーッシュ!ようやくヒットよ!)
二人を見た瑠璃は心の中でガッツポーズを作った。男二人は結構なイケメン。
片方はインテリっぽい眼鏡、もう一方はちょっと遊んでそうな、ロンゲに日焼けだった。
瑠璃「なんでしょうか?」
眼鏡「あれ?どこかでお会いしませんでしたっけ?」
サキ「え?あんたなんか知らな・・・」
そう言い掛けたサキを瑠璃が肘で小突く。
瑠璃「(バカ!ナンパの常套手段じゃない!適当に合わせなさい!)
   えー、そうでしたっけ?よく覚えてないけどー。」
と、男達にとっては「ナンパされます」と言うのと同義の台詞を返す瑠璃。
ロンゲ「お、OK?よっしゃ!」
こっちの男は駆け引き無しのストレートなタイプだった。
眼鏡「たく・・・人の努力を一瞬で無にするような事を・・・まあいいか。で、お二人さん、暇だったら俺達に付き合いませんか?
   いや別に取って食おうって訳じゃないから。俺達も暇でね、一緒に遊んでくれる女の子捜してたんだ。」
瑠璃「そうなんですか?うーん、どうしようかなー。」
どうしようもこうしようもないのだが、一応勿体つけてみる瑠璃。
ロンゲ「ひとまず暑いしさ、どこか店入らない?そうだな、カラオケなんかどう?」
瑠璃「そうですね・・・付き合っちゃおうかな?」
眼鏡「よし、決まり!行こう行こう!」
サキは一人、蚊帳の外状態になっていた。

そしてとあるカラオケ屋。
4人は部屋に入ってから、ろくに歌うでもなくもっぱら会話ばかりしていた。もっとも喋っているのは男二人と瑠璃ばかりだったが。
瑠璃はロンゲと意気投合したのか、楽しそうに話している。置いてけぼり状態になっているサキ。そこへ眼鏡の方が話しかけてきた。
眼鏡「どうしたの?あまり話さないけど。」
サキ「あ・・・はい。」
一応猫を被るサキ。
眼鏡「実はこういうの苦手なんじゃない?」
鋭く言い当てられたサキはちょっと驚く。
サキ「え、わかりますか?」
眼鏡「わかるよー。構わないでオーラバリバリ出してるもん。」
サキ「そうですか・・・じゃ、ついでに聞いて下さい。」
サキは今回のいきさつ、こんな格好でナンパ待ちするに至った理由を話した。
眼鏡「・・・確かにナンパなんかにまともな出会いを求めるのはちょっと違うかもね。」
意外にまともな返答が返ってきた事に、サキはまた驚いた。
眼鏡「でもね、出合いの切っ掛けなんか後で考えたらどうでもいいって事もまたある訳で。」
サキ「・・・・・・・・」
何か含みのありそうな言葉に、サキは戸惑った。

そして、数時間を過ごした後、お開きという事になった。意外にも?本当に遊び相手を探していただけだったらしい
二人と別れて帰路に着くサキと瑠璃。
瑠璃「で、眼鏡君はどうだった?」
サキ「よく分からないけど、悪い人じゃなかったみたい。」
瑠璃「ふーん、何話したの?」
サキ「ナンパ待ちのいきさつとか・・・大した事は話してないけど。それからTEL番交換して・・・」
瑠璃「え?教えちゃったの!?」
サキ「うん。」
瑠璃「バカ!嘘番号でも言っとけば良かったのに・・・」
サキ「・・・アタイがそんなテク知ってるとでも思った?」
瑠璃「そらそうね・・・あのさ、手引きしておいてなんだけど、もし後で連絡があっても
   あの二人は止めといた方がいいよ。」
サキ「え?なんで?」
瑠璃「なんかね、女の勘。多分なんかヤバいから。ロンゲがね、自分のバックを自慢げに語るのよ。ああゆうのは間違いなく
   よからぬ事して生きてるわね。」

サキ「なにそれ・・・」
瑠璃「とにかく忠告はしたからね。私あとは知らなーいっと。」
サキ「ちょっと!無責任な事言わないでよ!」

しかしその後は連絡も無く、数ヶ月の時が流れた。
そしてサキがこの出来事をほとんど忘れかけた11月某日、彼女の携帯が鳴った。眼鏡からだった。
眼鏡「もしもし。お久し振り。」
サキ「え、ええ。お久し振りです。・・・どうしたんですか?」
眼鏡「いやね、ちょっと会えないかなと思って。」
サキ「え・・・なんで?」
眼鏡「会いたいから、ってのは理由にならないかな?」
ちょっとどきっとするサキ。
サキ「・・・まあ、いいですけど。」
瑠璃の忠告は覚えていたが、カラオケ屋では比較的好印象を受けた眼鏡からの誘いだったのでサキはなんとなくOKした。
眼鏡「それじゃ、今度の土曜にさ・・・」

待ち合わせた場所は、件のカラオケ屋だった。時刻は午後一時。
学校帰りのサキは、駅近くのデパートのトイレで私服に着替え、制服は駅のロッカ−に押し込んだ。
彼女は別におしゃれするつもりは無かったのだが、前回会った時のイメージを残しておいた方がいいかと思い、
メイクは落とし、服装は、彼女としては短めのスカートを選んだ。そしてサキは指定された部屋の前に到着した。

(でもね、出合いの切っ掛けなんか後で考えたらどうでもいいって事もまたある訳で。)

眼鏡の言葉をふと思い出す。
サキ(そうなのかな・・・それが運命の人になるって事もあるのかな・・・)
男に呼び出されるなどという経験のないサキは、嫌が応にも意識してしまう。
そしてサキは軽くノックしてからドアを開けた。
正面に眼鏡が座っている。
眼鏡「・・・よく来てくれたね。」
サキ「まあ、約束ですから。」
眼鏡「・・・ごめんな。」
いきなり謝る眼鏡。サキが不審に思っていると、いきなり背後から何者かに羽交い絞めにされた。
サキ「な!何を!」
声 「ごめんねお譲ちゃん。こいつヤクザに借金があってね。こうやって引っ掛けた女、犯っちまっちゃそのヤクザに売って、
   返済に充ててるのよ。」
その特徴のある声には聞き覚えがあった。ロンゲだ。
サキ「てめえら・・・」
ロンゲ「でもそんなに心配しなくてもいいよ。売るっつっても裏ビデオに出てもらうだけだから。一応金も貰えるからさ。
    キモチイイ事してお金になるんだから、そんなに悪い話じゃないだろ?」
サキ「・・・一ついいかい?」
ロンゲ「ん?」
サキ「なんで今更呼んだ?何故前に会った時にこうしなかった?」
眼鏡「・・・ストックだよ。」
サキ「ストック?」
眼鏡「そう。ナンパした女は連絡先を聞いといてストックしとくんだ。必要になったら呼び出して売る。順番が来ただけさ。」
サキ「そうかい・・・アタイも舐められたもんだね。」
サキはそう言うと被りを振った・・・と思う間も無く頭を後ろへ振る。壁を背にしている
ロンゲは頭を後ろに逃がせず、サキの後頭部と壁に挟まれる形で後頭部による頭突きを鼻頭に受けた。
サキにぱき、という感触が伝わる。どうやら鼻が折れたようだ。
ロンゲ「いっ・・・・てええええええええええええ!」
ロンゲは鼻から血を流してへたり込む。
眼鏡「!」
眼鏡は立ち上がり、サキに掴みかかろうとする。サキはその直前で右足を蹴り上げた。・・・ミニスカートである事も忘れて。
だがそれは効果的だった。露になった下着に目を奪われ隙の出来た眼鏡。その脳天に踵を落とすのは容易い事だった。
一瞬で二人の男をKOしたサキは、携帯を取り出し、二人の醜態をカメラに収めた。
サキ「この情けない姿、公開されたくなかったら二度とこの疾風のサキに構うんじゃないよ!」
二人が息を呑む。疾風のサキの通り名は、そこそこ知られているのだ。
そしてサキは部屋を後にした。

デパートのトイレで再びいつもの制服に着替えたサキは、鏡の前に立ちルージュを引きシャドウを差す。
サキ「そう・・・これがアタイ。アタイはこれでいいんだ・・・ミニスカートなんか、もう穿かない!」

帰り道。特に実害は無かったものの、騙された事が腹立たしいサキはブツブツ独り言を言いながら早足で歩いていた。
サキ「まったく・・・ふざけるんじゃないわよ!もう、ちょっとでもあんな奴にときめいた自分がくやしいってば!
   やっぱりナンパするような奴にろくなのはいないって事よね!」
自分にまくし立てるように、結構なボリュームの独り言を言い続けるサキ。
サキ「もう男なんか当分いなくていいよ!運命の人なんて、そんな簡単に出会える訳ないんだから!」

怒りが収まらないサキのその行く手には、運命の男との邂逅が待つ曲がり角が、あと数メートルまで迫っていた。


第一話へつづく



番外第4話 笑顔と記憶

2月某日。轟高校保健室。
そのベッドの上には轟が横たわっていた。どうやら気を失っているようだ。それを取り囲むようにおなじみの面々、
サキ、操、舎弟、そしてマチコが心配そうにその顔を覗き込んでいた。やがて、
轟 「う、うーん・・・」
目を覚ます轟。安堵の空気が辺りを包むが、
轟 「・・・ここは・・・どこだ?お前たちは・・・誰だ?」
一瞬で空気は凍りついた。

話は数時間ほど遡る。
轟高校の体育館に、カコーン、カコーンという音が鳴り響いていた。サキと轟が珍しく卓球で勝負をしているのだ。
因みにこの時点のサキはノリオによる特訓の前である。なのでいまひとつおぼつかないフォームで、もう一杯一杯だった。
轟 「オラァ!」
ビシィ!
サキ「くっ・・・」
ぺちん
轟の打球に比べ、あからさまに勢いの無いサキのレシーブ。しかし、下手な鉄砲もなんとやらで、何百球に一球の奇跡が起きた。
見事にスイートスポットで捉えた玉は、綺麗な軌跡を描きテーブルの隅ギリギリを目指す。だがそれでも、轟には簡単に返せる玉
・・・のはずだった。

かこん

轟 「うおっ!」
玉はテーブルの角に当たり、あらぬ方向を目指してバウンドした。
轟 「なんの!」
轟は諦めず玉を追った。そして横っ飛びしてレシーブ・・・したはいいが、その先にはドアが開けっ放しの体育倉庫が待ち構えていた。

どんがらがっしゃーん

まるでマンガのような擬音が上がり、埃が舞い上がった。そして、倒れた轟の上には、跳び箱、バレーネットの支柱、
バスケットボール入りの籠、ありとあらゆる体育グッズが覆い被さっていた。その体育グッズの山から足だけが覗いている。
サキ「おいおい、いくら真剣勝負がモットーだからって、頑張りすぎじゃないか?」
サキが軽口を向けるが返答は無い。
サキ「ちょ、ちょっと轟・・・?」
轟はピクリともしない。
サキ「う・・・そだろ!あんな頑丈な奴が!」
サキは慌てて轟に乗っている物を取り除く。やがてようやく轟の上半身が現れた。気を失っているようだ。
サキ「ちょ、ちょっと待ってよ!嘘でしょ!ちょっと轟!」
動転して思わず地の女の子言葉で叫び、轟を揺り動かそうとしたサキだったが、その手が触れる前に思い留まった。
サキ「気絶してるって事は、頭を打ったって事よね・・・頭を打った怪我人は動かしちゃまずいんじゃなかったっけ・・・
   あーん!どうしよう!・・・そうだ!マチコ先生!」
サキはマチコを呼びに保健室へ走った。
サキ「待ってて!轟!」

やがてマチコを連れたサキが体育館まで戻ってきた。
マチコ「あらあら、轟君のこんな姿、珍しいわね。写真でも撮っておこうかしら。」
マチコは冗談を言うが、サキは気が気でない。
サキ「先生!冗談言ってないで早く診てよ!」
マチコ「はいはい・・・うーん、そうね。脳震盪みたいね。大丈夫よ。ひとまず保健室に
    運びましょう。サキちゃんは足の方持って。」
そして二人掛りで振動を与えないように注意しながら轟を保健室まで運び、ゆっくりとベッドに寝かせる。
サキ「全然気が付く気配が無いけど、本当に大丈夫なんですか・・・?」
マチコ「そうね、じゃあ念の為にCT掛けてみましょうか。」
サキ「CT?・・・それってCTスキャン?」
マチコ「そうよ。」
サキ「なんでそんなもんがたかが学校の保健室にあるんですか!?」
マチコ「あら、CTだけじゃないわよ。MRIだってあるし、X線だってあるし・・・」
サキ「じゃあ・・・前から気になってたんですけど、そのドアの上の手術中ってランプは飾りじゃなくて・・・」
マチコ「そうよ。手術室。この学校の生徒心得に、保健室、怪我ごときで入室を禁ず、っていうのがあるんだけど、
    実はあながち伊達じゃないって事よ。」
サキ「それって下手な病院より頼りになりそうな・・・」

ところでマチコは単なる擁護の先生ではなく、医師免許を持ったれっきとした医者である。手当てのみならず治療行為も可能なのだ。
更には専属でここの校医をやっている。普通校医と言えば、近所の開業医が名義を貸し、学校に来るのは健康診断の時ぐらい、
という物だが、マチコの場合は轟高校に常駐する校医だった。

そして轟はCTに掛けられたがやはり異常は無く、単なる脳震盪による失神という診断結果が出た。だが、あれからかれこれ
一時間ほど経つが目を覚ます気配が無い。そこへ騒ぎを聞いた操と舎弟がやって来た。操は轟を見るなり、
操 「あらー。デマかと思ったら本当だったのね。珍しい。写真でも撮っておこうかしら。」
マチコと同じ事を言う。しかし既にサキには冗談に反応する余裕は無かった。

やがて更に一時間ほど。未だに目を覚まさない轟に、一同が不安を感じ始めていた所で冒頭のシーンに繋がる。

轟 「・・・ここは・・・どこだ?お前たちは・・・誰だ?」
一瞬、冗談かと誰もが思った。が、轟はこの手の冗談は言わない性格だとその場の全員が知っていたので洒落にならない状況
なのだと一同は理解した。
舎弟「まさか・・・記憶が!?」
マチコ「ちょっといい?・・・私は桜井マチコ。あなたは?」
轟 「・・・わかりません。」
操 「ちょっと、轟君。馬鹿やってるとパンチルーレットよ!」
ひょっとしたらと思い、カマを掛けてみる操。
轟 「・・・なんだ?それは?轟?俺の名前なのか?」
操 「そんな・・・本物だわ。」
通じずに操は軽く絶望した。
舎弟「番長〜、自分の事は覚えてるっスか?」
轟 「・・・番長・・・それが名前か?すまん、何もわからん。」
マチコ「多分、一時的な物だとは思うけど・・・」
その時、口をつぐんでいたサキが呟いた。
サキ「アタイのせいだ・・・」
マチコ「サキちゃん?」
サキ「アタイが、あんな玉打たなきゃこんな事にはならなかったんだ・・・」
マチコ「そんな、不可抗力よ。誰のせいでもないわ。」
サキ「それに、アタイが気まぐれで卓球なんかにしたから・・・やっぱりアタイの責任だ。」
サキの耳にマチコの言葉は入らなかった。
サキ「轟・・・アタイが責任持って思い出させてやるからな!」

そして翌日。
風邪や腹痛とは訳が違い一晩寝れば治るという訳も無く、まだ轟の記憶は戻っていなかった。
こうなると専門医に診せた方がいいと普通は考えそうなものだが、轟の両親は普通ではなかった。
特に現校長の父親などは、
「轟高校の生徒たる漢なら、記憶など気合で取り戻せ!」
などと言っている始末。
ただ、それもマチコの見立て、――――大した事は無い、じきに自然に思い出す――――に信頼を
置いているからに他ならないのであるが。
母親も、学校には下手な病院より医者の腕もよく設備もいい保健室があるし、普段通りに通わせた方が記憶を取り戻すにはいいだろう、
という意見だった。
そんな訳で轟はいつも通りに―――河川敷で授業をサボり、昼寝「させられて」いた。傍らにはこれまた学校をサボり、
轟に付き合うサキの姿があった。サキは横になった轟の横に座り、話をしていた。
轟 「俺は・・・いつもこんな事をしていたのか?」
サキ「そうよ。この寒いのに、よく昼寝なんか出来るもんだってよく思ってたんだけどね。」
サキはいつもと雰囲気が違う轟にちょっとよそよそしさを覚え、無意識に女の子言葉を使っていた。
轟 「そうか?そんなに寒いとは思えないんだが・・・」
サキ「あ、やっぱり寒さ感じてなかったんだ。」
轟 「お前は・・・寒いのか?」
サキ「うん、ちょっとね・・・」
轟 「それは悪かった。気が付かなかった。じゃあどこか寒くない所に行こう。」
サキ「いいのよ。今はアンタの記憶を戻すのが優先でしょ。」
轟 「だからと言って何かを犠牲にしていい理由にはならん。さあ、行くぞ。」
轟は立ち上がって言う。
サキ(まったく・・・そうやっていつも自分より他人の事を気遣っちゃうんだから・・・)
轟 「・・・」
サキ「どうしたの?」
轟 「ここってどこだっけ?」
サキ「あ、ああそうか。そりゃそうね。いいわ。アタイが適当な所連れてってあげる。」

河川敷でじっとしてるより、どこか見覚えのある所を何箇所も見せた方が記憶が戻る切っ掛けになるかも知れない。
サキはそう思って轟をあっちへこっちへと連れまわした。サキはまるでデートでもしているようで、不謹慎だとは思いながらも
状況を楽しんでいた。商店街、湖、学校、住宅街・・・しかし、どこへ行ってもいい感触は掴めなかった。
サキ「だめか・・・あ、そう言えばこの辺って・・・」
サキはふとある事を思い出した。
サキ「それじゃ、もう一箇所行ってみましょう。」
轟 「もう一箇所?」
サキ「うん。とっても大事な思い出がある場所・・・」
そう言ってサキが轟を連れてきたのは、病院―――真紀が入院していた、あの病院だった。

轟 「ここは・・・だめだ。」
サキ「え?何か覚えある?」
期待を込めてサキが訊き返す。
轟 「覚えというか・・・何かここには来ちゃいけない、そんな気がするんだ。」
実は真紀の件は、轟にとって結構なトラウマになっていたのだ。それが記憶の無い今でもこうやって表れていた。
サキ「それなら尚更じゃない!今まで何を見ても無反応だったアンタが初めて反応した所なんだから!ほら、行きましょう!」
サキはそう言って躊躇う轟の手を掴み、引っ張っていった。行き先は、轟が殴った庭木があるあの中庭だった。
サキ「ほら・・・これ、覚えてない?」
サキは轟が殴った木の、樹皮がめくれた所を示して言う。
轟 「・・・・・・・・・」
サキ「轟?」
轟 「・・・すまん、覚えてはいないが・・・なんだこれは。」
サキ「え?」
その時轟の目から一筋の涙が零れ落ちた。
サキ「あ、ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったの!思い出してくれればと思って・・・そうね、もう出ましょう・・・」
そして二人は病院を後にした。

その後、二人はとある喫茶店にいた。
轟 「・・・さっきの病院、なんだったんだ?何故か急に悲しい気持ちになって、涙が出て・・・事情を知ってるなら教えてくれないか?」
サキ「そうね・・・アタイがアンタにこの事を説明するっていうのもなんか変だけど。」
サキは、例の件をかいつまんで轟に話した。
サキ「・・・ある所に小学生の女の子がいました。その女の子は明るくて元気で、可愛い子でした。
   その女の子は隣に住む優しいお兄さんの事が大好きでした。」
サキは物語調で話し始めた。黙って聞いている轟。
サキ「その女の子はそのお兄さんに遊んでもらうのが好きでした。でもある時その子は重い病気にかかって入院してしまいました。
   でもその子は明るさを失う事無く周りの人に接していました。」
サキは一息ついて続ける。
サキ「だけどそれはその子の周りに対する気遣いでした。心配しないように、悲しまないように。本当は不安で、怖くて仕方なかったのに。
   ある時その事に気付いたお兄さんは、気付く事が出来なかったそれまでの自分に腹を立て、病院の庭木を殴りました。
   何度も何度も。自分の手が傷つくぐらいに。」
轟 「そのお兄さんってのは俺で、さっきの木が殴った木か。」
サキは無言で頷き、続ける。
サキ「そして・・・」
轟 「ちょっと待ってくれ。」
サキ「?」
轟 「それ以上はいい。さっき涙が出た事を考えればどういう事になったのかは想像できる。」
サキ「そう・・・わかった。」
轟 「・・・・・」
サキ「どうしたの?」
轟 「なぜだろう・・・すまん、泣きそうだ。」
サキが話した内容は、特に泣くようなものではなかったが、忘れているとはいえ轟の心の深層には確実に存在する思い出が
反応したのだろう。
サキ「よかった。真紀ちゃんの事まで完全に忘れてたら悲しいもんね。・・・それよりアンタって意外と泣き虫なのかもね・・・
   いいわよ。泣いちゃいなさいよ。但し声は出さないでね。」
声を殺し、学帽で顔を隠して轟は泣いた。サキはそれを目を細めて見ていた。
サキ(そして・・・そんなお兄さんに恋しちゃった女の子がいました。)
サキは心の中でそう付け加えた。

そして10分程して落ち着いた轟が言った。
轟 「すまなかった・・・それより、普段俺がしてるって事、昼寝以外に何か無いのか?」
泣いた事が恥ずかしかったのか、話題を変える。
サキ「そうね・・・勝負かな。」
轟 「勝負?」
サキ「そう。アンタがあの学校で番を張ってるってのは話したわよね。でもアンタは喧嘩嫌い。だから番長として喧嘩を売られたら
   喧嘩代わりにゲームとかスポーツで決着を付けてたのよ。」
轟 「そうか・・・それやってみたら思い出すかな?」
サキ「そうかも知れないけど、今ここで?ちょっと無理があるわよ・・・」
轟 「どんな勝負なんだ?」
サキ「えーとドッジボールでしょ、卓球でしょ、紙相撲に、後は椅子取りとかあっちむいてほいとか。」
轟 「あっちむいてほいならここで出来るんじゃないか?」
サキ「ルール、聞いてみる?」
轟 「ルール?」
・・・・・・・・・・・・・・・
轟 「女の顔を殴るなんて、そんな事が出来るか!」
サキ「ほらね、だからここで出来る勝負は無いのよ。」
轟 「なんか、代わりになりそうな遊びって無いか?何かやれば思い出せそうな気がするんだが・・・」
真紀の病院、そして勝負というキーワードで、轟は何かを感じていた。
サキ「そ、そうなの!?じゃ、えーとなんか・・・・・・・」

熟考の末、出た答えは・・・にらめっこだった。
二人「だーるまさんだーるまさん にーらめっこしましょ わらうとまけよ あっぷっぷ!」
周りの視線を気にする事無くにらめっこする二人。轟は、笑顔のつもりで凄み顔を作るような男である。
にらめっこは強い。やがてサキが陥落した。
サキ「あーははははは。ひどい顔。もう、おかしいってば。あはは。」
涙を滲ませつつ笑うサキ。
一方その笑顔を見た轟は、頭をハンマーで殴られたような訳の判らない衝撃に襲われていた。それだけではない、
何故か鼓動も早くなる。呆然としている轟の様子に気付いたサキが話し掛ける。
サキ「ん?どうしたの?」
轟 「疾風の・・・」
サキ「え!?アンタ・・・!」
轟 「ここは?何故お前と俺がこんな所に?」
サキ「よかった!記憶が戻ったんだね!先生に知らせないと!ほら!学校に戻るよ!」


記憶喪失には二種類あるらしい。一つは記憶が無い間の出来事を、記憶が戻った時に忘れてしまうタイプ。
もう一つは全て覚えているタイプ。・・・轟は後者だった。だが、何故か彼は前者を装った。


轟 (あの笑顔、それに言葉遣い・・・間違いない。あの人は彼女・・・サキだったのか・・・)


数日後、保健室。マチコの許を轟が訪れた。
マチコ「あらいらっしゃい。もう大丈夫?」
轟 「はい。ご心配お掛けしました。で、今日は別の話なんですが・・・」
マチコ「別の?」
轟 「はい。」
マチコ「なんなのかしら?」
轟は椅子に座り、話し始めた。
轟 「えーと、例えばですね、自分には大好きなアイドルがいたとします。それで、実はそのアイドルはテレビで見るのと
   全くイメージが違う、自分の身近な人物と同一人物だった場合、先生だったらどうします?」
轟なりにサキと金髪の美女を一生懸命例えてみたつもりなのだが、どうもピントが外れている。
マチコ「例えがいまいちよく分からないけど・・・それって轟君の身に起こった事と考えていいのよね?
    で、その身近な人物って人は轟君は嫌いな人なのかしら?」
轟 「いや、そんな事は無いです。」
マチコ「じゃあ、好き?」
轟 「・・・かも知れません。」
マチコ「なら考える必要は無いんじゃないかしら?」
轟 「・・・笑ってもらって構いません。怖いんです。自分から言い出して今の関係が崩れるのが。」
マチコ「そうね・・・でも何もしなければその、今の関係のままでしょ?それでいいの?」
轟 「今は・・・いいんです。」
マチコ「なんで男ってこういう事に対しては意気地が無いのかしらね?」
轟 「面目ない・・・ありがとうございました。誰かに聞いて欲しかっただけなんで。」
轟はそう言うと立ち上がった。
マチコ「あらもういいの?なんのアドバイスもしてないけど。」
轟 「はい。自分でなんとかケリつけますから。」
そう言って、轟は保健室を後にした。

そして廊下を歩きながら轟は一人ごちる。
轟 「こういう時に限ってなんであいつは来ないかな。もう3日?4日ぐらい会ってないぞ。覚悟決めようにも会えなきゃ
   どうにもならんじゃないか。」

その頃、サキは毎日ノリオによる卓球の特訓を受けていた。
そして、物語は終局へ向かう。


おわり