番外第4話 笑顔と記憶

2月某日。轟高校保健室。
そのベッドの上には轟が横たわっていた。どうやら気を失っているようだ。それを取り囲むようにおなじみの面々、
サキ、操、舎弟、そしてマチコが心配そうにその顔を覗き込んでいた。やがて、
轟 「う、うーん・・・」
目を覚ます轟。安堵の空気が辺りを包むが、
轟 「・・・ここは・・・どこだ?お前たちは・・・誰だ?」
一瞬で空気は凍りついた。

話は数時間ほど遡る。
轟高校の体育館に、カコーン、カコーンという音が鳴り響いていた。サキと轟が珍しく卓球で勝負をしているのだ。
因みにこの時点のサキはノリオによる特訓の前である。なのでいまひとつおぼつかないフォームで、もう一杯一杯だった。
轟 「オラァ!」
ビシィ!
サキ「くっ・・・」
ぺちん
轟の打球に比べ、あからさまに勢いの無いサキのレシーブ。しかし、下手な鉄砲もなんとやらで、何百球に一球の奇跡が起きた。
見事にスイートスポットで捉えた玉は、綺麗な軌跡を描きテーブルの隅ギリギリを目指す。だがそれでも、轟には簡単に返せる玉
・・・のはずだった。

かこん

轟 「うおっ!」
玉はテーブルの角に当たり、あらぬ方向を目指してバウンドした。
轟 「なんの!」
轟は諦めず玉を追った。そして横っ飛びしてレシーブ・・・したはいいが、その先にはドアが開けっ放しの体育倉庫が待ち構えていた。

どんがらがっしゃーん

まるでマンガのような擬音が上がり、埃が舞い上がった。そして、倒れた轟の上には、跳び箱、バレーネットの支柱、
バスケットボール入りの籠、ありとあらゆる体育グッズが覆い被さっていた。その体育グッズの山から足だけが覗いている。
サキ「おいおい、いくら真剣勝負がモットーだからって、頑張りすぎじゃないか?」
サキが軽口を向けるが返答は無い。
サキ「ちょ、ちょっと轟・・・?」
轟はピクリともしない。
サキ「う・・・そだろ!あんな頑丈な奴が!」
サキは慌てて轟に乗っている物を取り除く。やがてようやく轟の上半身が現れた。気を失っているようだ。
サキ「ちょ、ちょっと待ってよ!嘘でしょ!ちょっと轟!」
動転して思わず地の女の子言葉で叫び、轟を揺り動かそうとしたサキだったが、その手が触れる前に思い留まった。
サキ「気絶してるって事は、頭を打ったって事よね・・・頭を打った怪我人は動かしちゃまずいんじゃなかったっけ・・・
   あーん!どうしよう!・・・そうだ!マチコ先生!」
サキはマチコを呼びに保健室へ走った。
サキ「待ってて!轟!」

やがてマチコを連れたサキが体育館まで戻ってきた。
マチコ「あらあら、轟君のこんな姿、珍しいわね。写真でも撮っておこうかしら。」
マチコは冗談を言うが、サキは気が気でない。
サキ「先生!冗談言ってないで早く診てよ!」
マチコ「はいはい・・・うーん、そうね。脳震盪みたいね。大丈夫よ。ひとまず保健室に
    運びましょう。サキちゃんは足の方持って。」
そして二人掛りで振動を与えないように注意しながら轟を保健室まで運び、ゆっくりとベッドに寝かせる。
サキ「全然気が付く気配が無いけど、本当に大丈夫なんですか・・・?」
マチコ「そうね、じゃあ念の為にCT掛けてみましょうか。」
サキ「CT?・・・それってCTスキャン?」
マチコ「そうよ。」
サキ「なんでそんなもんがたかが学校の保健室にあるんですか!?」
マチコ「あら、CTだけじゃないわよ。MRIだってあるし、X線だってあるし・・・」
サキ「じゃあ・・・前から気になってたんですけど、そのドアの上の手術中ってランプは飾りじゃなくて・・・」
マチコ「そうよ。手術室。この学校の生徒心得に、保健室、怪我ごときで入室を禁ず、っていうのがあるんだけど、
    実はあながち伊達じゃないって事よ。」
サキ「それって下手な病院より頼りになりそうな・・・」

ところでマチコは単なる擁護の先生ではなく、医師免許を持ったれっきとした医者である。手当てのみならず治療行為も可能なのだ。
更には専属でここの校医をやっている。普通校医と言えば、近所の開業医が名義を貸し、学校に来るのは健康診断の時ぐらい、
という物だが、マチコの場合は轟高校に常駐する校医だった。

そして轟はCTに掛けられたがやはり異常は無く、単なる脳震盪による失神という診断結果が出た。だが、あれからかれこれ
一時間ほど経つが目を覚ます気配が無い。そこへ騒ぎを聞いた操と舎弟がやって来た。操は轟を見るなり、
操 「あらー。デマかと思ったら本当だったのね。珍しい。写真でも撮っておこうかしら。」
マチコと同じ事を言う。しかし既にサキには冗談に反応する余裕は無かった。

やがて更に一時間ほど。未だに目を覚まさない轟に、一同が不安を感じ始めていた所で冒頭のシーンに繋がる。

轟 「・・・ここは・・・どこだ?お前たちは・・・誰だ?」
一瞬、冗談かと誰もが思った。が、轟はこの手の冗談は言わない性格だとその場の全員が知っていたので洒落にならない状況
なのだと一同は理解した。
舎弟「まさか・・・記憶が!?」
マチコ「ちょっといい?・・・私は桜井マチコ。あなたは?」
轟 「・・・わかりません。」
操 「ちょっと、轟君。馬鹿やってるとパンチルーレットよ!」
ひょっとしたらと思い、カマを掛けてみる操。
轟 「・・・なんだ?それは?轟?俺の名前なのか?」
操 「そんな・・・本物だわ。」
通じずに操は軽く絶望した。
舎弟「番長〜、自分の事は覚えてるっスか?」
轟 「・・・番長・・・それが名前か?すまん、何もわからん。」
マチコ「多分、一時的な物だとは思うけど・・・」
その時、口をつぐんでいたサキが呟いた。
サキ「アタイのせいだ・・・」
マチコ「サキちゃん?」
サキ「アタイが、あんな玉打たなきゃこんな事にはならなかったんだ・・・」
マチコ「そんな、不可抗力よ。誰のせいでもないわ。」
サキ「それに、アタイが気まぐれで卓球なんかにしたから・・・やっぱりアタイの責任だ。」
サキの耳にマチコの言葉は入らなかった。
サキ「轟・・・アタイが責任持って思い出させてやるからな!」

そして翌日。
風邪や腹痛とは訳が違い一晩寝れば治るという訳も無く、まだ轟の記憶は戻っていなかった。
こうなると専門医に診せた方がいいと普通は考えそうなものだが、轟の両親は普通ではなかった。
特に現校長の父親などは、
「轟高校の生徒たる漢なら、記憶など気合で取り戻せ!」
などと言っている始末。
ただ、それもマチコの見立て、――――大した事は無い、じきに自然に思い出す――――に信頼を
置いているからに他ならないのであるが。
母親も、学校には下手な病院より医者の腕もよく設備もいい保健室があるし、普段通りに通わせた方が記憶を取り戻すにはいいだろう、
という意見だった。
そんな訳で轟はいつも通りに―――河川敷で授業をサボり、昼寝「させられて」いた。傍らにはこれまた学校をサボり、
轟に付き合うサキの姿があった。サキは横になった轟の横に座り、話をしていた。
轟 「俺は・・・いつもこんな事をしていたのか?」
サキ「そうよ。この寒いのに、よく昼寝なんか出来るもんだってよく思ってたんだけどね。」
サキはいつもと雰囲気が違う轟にちょっとよそよそしさを覚え、無意識に女の子言葉を使っていた。
轟 「そうか?そんなに寒いとは思えないんだが・・・」
サキ「あ、やっぱり寒さ感じてなかったんだ。」
轟 「お前は・・・寒いのか?」
サキ「うん、ちょっとね・・・」
轟 「それは悪かった。気が付かなかった。じゃあどこか寒くない所に行こう。」
サキ「いいのよ。今はアンタの記憶を戻すのが優先でしょ。」
轟 「だからと言って何かを犠牲にしていい理由にはならん。さあ、行くぞ。」
轟は立ち上がって言う。
サキ(まったく・・・そうやっていつも自分より他人の事を気遣っちゃうんだから・・・)
轟 「・・・」
サキ「どうしたの?」
轟 「ここってどこだっけ?」
サキ「あ、ああそうか。そりゃそうね。いいわ。アタイが適当な所連れてってあげる。」

河川敷でじっとしてるより、どこか見覚えのある所を何箇所も見せた方が記憶が戻る切っ掛けになるかも知れない。
サキはそう思って轟をあっちへこっちへと連れまわした。サキはまるでデートでもしているようで、不謹慎だとは思いながらも
状況を楽しんでいた。商店街、湖、学校、住宅街・・・しかし、どこへ行ってもいい感触は掴めなかった。
サキ「だめか・・・あ、そう言えばこの辺って・・・」
サキはふとある事を思い出した。
サキ「それじゃ、もう一箇所行ってみましょう。」
轟 「もう一箇所?」
サキ「うん。とっても大事な思い出がある場所・・・」
そう言ってサキが轟を連れてきたのは、病院―――真紀が入院していた、あの病院だった。

轟 「ここは・・・だめだ。」
サキ「え?何か覚えある?」
期待を込めてサキが訊き返す。
轟 「覚えというか・・・何かここには来ちゃいけない、そんな気がするんだ。」
実は真紀の件は、轟にとって結構なトラウマになっていたのだ。それが記憶の無い今でもこうやって表れていた。
サキ「それなら尚更じゃない!今まで何を見ても無反応だったアンタが初めて反応した所なんだから!ほら、行きましょう!」
サキはそう言って躊躇う轟の手を掴み、引っ張っていった。行き先は、轟が殴った庭木があるあの中庭だった。
サキ「ほら・・・これ、覚えてない?」
サキは轟が殴った木の、樹皮がめくれた所を示して言う。
轟 「・・・・・・・・・」
サキ「轟?」
轟 「・・・すまん、覚えてはいないが・・・なんだこれは。」
サキ「え?」
その時轟の目から一筋の涙が零れ落ちた。
サキ「あ、ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃなかったの!思い出してくれればと思って・・・そうね、もう出ましょう・・・」
そして二人は病院を後にした。

その後、二人はとある喫茶店にいた。
轟 「・・・さっきの病院、なんだったんだ?何故か急に悲しい気持ちになって、涙が出て・・・事情を知ってるなら教えてくれないか?」
サキ「そうね・・・アタイがアンタにこの事を説明するっていうのもなんか変だけど。」
サキは、例の件をかいつまんで轟に話した。
サキ「・・・ある所に小学生の女の子がいました。その女の子は明るくて元気で、可愛い子でした。
   その女の子は隣に住む優しいお兄さんの事が大好きでした。」
サキは物語調で話し始めた。黙って聞いている轟。
サキ「その女の子はそのお兄さんに遊んでもらうのが好きでした。でもある時その子は重い病気にかかって入院してしまいました。
   でもその子は明るさを失う事無く周りの人に接していました。」
サキは一息ついて続ける。
サキ「だけどそれはその子の周りに対する気遣いでした。心配しないように、悲しまないように。本当は不安で、怖くて仕方なかったのに。
   ある時その事に気付いたお兄さんは、気付く事が出来なかったそれまでの自分に腹を立て、病院の庭木を殴りました。
   何度も何度も。自分の手が傷つくぐらいに。」
轟 「そのお兄さんってのは俺で、さっきの木が殴った木か。」
サキは無言で頷き、続ける。
サキ「そして・・・」
轟 「ちょっと待ってくれ。」
サキ「?」
轟 「それ以上はいい。さっき涙が出た事を考えればどういう事になったのかは想像できる。」
サキ「そう・・・わかった。」
轟 「・・・・・」
サキ「どうしたの?」
轟 「なぜだろう・・・すまん、泣きそうだ。」
サキが話した内容は、特に泣くようなものではなかったが、忘れているとはいえ轟の心の深層には確実に存在する思い出が
反応したのだろう。
サキ「よかった。真紀ちゃんの事まで完全に忘れてたら悲しいもんね。・・・それよりアンタって意外と泣き虫なのかもね・・・
   いいわよ。泣いちゃいなさいよ。但し声は出さないでね。」
声を殺し、学帽で顔を隠して轟は泣いた。サキはそれを目を細めて見ていた。
サキ(そして・・・そんなお兄さんに恋しちゃった女の子がいました。)
サキは心の中でそう付け加えた。

そして10分程して落ち着いた轟が言った。
轟 「すまなかった・・・それより、普段俺がしてるって事、昼寝以外に何か無いのか?」
泣いた事が恥ずかしかったのか、話題を変える。
サキ「そうね・・・勝負かな。」
轟 「勝負?」
サキ「そう。アンタがあの学校で番を張ってるってのは話したわよね。でもアンタは喧嘩嫌い。だから番長として喧嘩を売られたら
   喧嘩代わりにゲームとかスポーツで決着を付けてたのよ。」
轟 「そうか・・・それやってみたら思い出すかな?」
サキ「そうかも知れないけど、今ここで?ちょっと無理があるわよ・・・」
轟 「どんな勝負なんだ?」
サキ「えーとドッジボールでしょ、卓球でしょ、紙相撲に、後は椅子取りとかあっちむいてほいとか。」
轟 「あっちむいてほいならここで出来るんじゃないか?」
サキ「ルール、聞いてみる?」
轟 「ルール?」
・・・・・・・・・・・・・・・
轟 「女の顔を殴るなんて、そんな事が出来るか!」
サキ「ほらね、だからここで出来る勝負は無いのよ。」
轟 「なんか、代わりになりそうな遊びって無いか?何かやれば思い出せそうな気がするんだが・・・」
真紀の病院、そして勝負というキーワードで、轟は何かを感じていた。
サキ「そ、そうなの!?じゃ、えーとなんか・・・・・・・」

熟考の末、出た答えは・・・にらめっこだった。
二人「だーるまさんだーるまさん にーらめっこしましょ わらうとまけよ あっぷっぷ!」
周りの視線を気にする事無くにらめっこする二人。轟は、笑顔のつもりで凄み顔を作るような男である。
にらめっこは強い。やがてサキが陥落した。
サキ「あーははははは。ひどい顔。もう、おかしいってば。あはは。」
涙を滲ませつつ笑うサキ。
一方その笑顔を見た轟は、頭をハンマーで殴られたような訳の判らない衝撃に襲われていた。それだけではない、
何故か鼓動も早くなる。呆然としている轟の様子に気付いたサキが話し掛ける。
サキ「ん?どうしたの?」
轟 「疾風の・・・」
サキ「え!?アンタ・・・!」
轟 「ここは?何故お前と俺がこんな所に?」
サキ「よかった!記憶が戻ったんだね!先生に知らせないと!ほら!学校に戻るよ!」


記憶喪失には二種類あるらしい。一つは記憶が無い間の出来事を、記憶が戻った時に忘れてしまうタイプ。
もう一つは全て覚えているタイプ。・・・轟は後者だった。だが、何故か彼は前者を装った。


轟 (あの笑顔、それに言葉遣い・・・間違いない。あの人は彼女・・・サキだったのか・・・)


数日後、保健室。マチコの許を轟が訪れた。
マチコ「あらいらっしゃい。もう大丈夫?」
轟 「はい。ご心配お掛けしました。で、今日は別の話なんですが・・・」
マチコ「別の?」
轟 「はい。」
マチコ「なんなのかしら?」
轟は椅子に座り、話し始めた。
轟 「えーと、例えばですね、自分には大好きなアイドルがいたとします。それで、実はそのアイドルはテレビで見るのと
   全くイメージが違う、自分の身近な人物と同一人物だった場合、先生だったらどうします?」
轟なりにサキと金髪の美女を一生懸命例えてみたつもりなのだが、どうもピントが外れている。
マチコ「例えがいまいちよく分からないけど・・・それって轟君の身に起こった事と考えていいのよね?
    で、その身近な人物って人は轟君は嫌いな人なのかしら?」
轟 「いや、そんな事は無いです。」
マチコ「じゃあ、好き?」
轟 「・・・かも知れません。」
マチコ「なら考える必要は無いんじゃないかしら?」
轟 「・・・笑ってもらって構いません。怖いんです。自分から言い出して今の関係が崩れるのが。」
マチコ「そうね・・・でも何もしなければその、今の関係のままでしょ?それでいいの?」
轟 「今は・・・いいんです。」
マチコ「なんで男ってこういう事に対しては意気地が無いのかしらね?」
轟 「面目ない・・・ありがとうございました。誰かに聞いて欲しかっただけなんで。」
轟はそう言うと立ち上がった。
マチコ「あらもういいの?なんのアドバイスもしてないけど。」
轟 「はい。自分でなんとかケリつけますから。」
そう言って、轟は保健室を後にした。

そして廊下を歩きながら轟は一人ごちる。
轟 「こういう時に限ってなんであいつは来ないかな。もう3日?4日ぐらい会ってないぞ。覚悟決めようにも会えなきゃ
   どうにもならんじゃないか。」

その頃、サキは毎日ノリオによる卓球の特訓を受けていた。
そして、物語は終局へ向かう。


おわり